『相手の気持ちを優しく受けとめる』
私には、思い出すたび、涙がこぼれそうになるほど、感謝している言葉があります。
それは、ある女性が私の母にかけてくださった言葉です。
私の祖父は、亡くなるまでの15年ほど、癌で入退院を繰り返しました。
同じ頃から認知症が始まった祖母は、言葉にできないくらい悲しい問題行動を次々と起こし、
祖父母と4人暮らしだった両親には、
ひと時も気の安まることのない日日が長く続きました。
その上、祖父の亡くなる前年には父まで倒れ、
先の見えないつらい日々のなか、母からは、笑顔も明るい言葉も消えました。
心も体もボロボロに傷付き、疲れ果ててしまった母を見かねて、
私たちは、祖母を、町にある特別養護老人ホームにお願いすることに致しました。
その入所手続きの書類を提出するため、母と役場に行ったとき、
車から降りた母は、唇をギュッと噛み、 うつむいて、 全身を硬く小さくし、 ひきずるような重い足取りでした。
受付では、 下を向いたまま、 小さなこわばった声で 低く、
「お願いします」と、言いました。
その書類を受け付けてくださったのは、
役場に行くと いつも薄化粧に、控えめな優しい微笑みを添えて対応してくださっていた若い女性でした。
彼女は、 書類を両手で受け取りながら、 慈愛に満ちたまなざしで
うつむいたままの母を じっと見つめ、
それから、いたわるように 一言。
そっと、 優しく 伝えてくださいました。
「…大変 …でしたね…。 」
その瞬間です。
母の目から、大粒の涙がボタボタボタッと、こぼれ落ちました。
…それだけです。
静かに、書類の提出は終わりました。
けれど、
先に、すっと歩き出した母の顔は少し上を向いて 明るくなり、
全身から とがった重苦しさが消えていました。
このときのことを思い出すと、今も感謝で胸が一杯になります。
彼女のような、
人の気持ちを優しく受けとめられる聴き手でありたいと いつも願っています。