『親は子どもに、明るく優しい言葉を掛けて』
「えりが生まれた時は、皆、お湯を沸かすことを忘れていてねェ。
お湯が沸く間、えり、バスタオルにくるまれて、
難波さんの床にころがっていたのよ」
母は、もちろん悪気なく、思い出話に可笑しそうに
笑い声をあげながら聞かせてくれました。
でも、この言葉は小学生だった私の心のひっかき傷になりました。
難波さんは生家の前にあった医院で、私はそちらで生まれました。
教養高く品の良い、赤ひげの様な先生と、
控え目でいつもにこにこと優しかった奥様には、
大変可愛がって頂きました。
言う迄もなく、両親にも。
でも、時々、 例えば、
赤ちゃんの頃の写真が姉に比べて極端に少ないと気付いた時や、
姉と私の行事が重なった時に 母が迷わず姉を優先させた時等、
あの言葉が胸をひっかくのです。
そして、そんな事にこだわっている私はなんて心が狭いのだろうと
自分を恥ずかしく思い、 更にコンプレックスを持つことになりました。
私の友人に、
お母様ともふたりのお兄様とも、驚く程そっくりな人がいます。
彼女は、高校生になった頃でも まだ、
「私は本当の子どもじゃないと思うんよ 」 と、真剣に悩んでいました。
「だって私、小さな時から、しょっちゅう
Y子は川から拾ってきたんやって言われてて…。
なんか叱られる時、 私にだけキツイように感じるのよね…」 と。
第三者として見ている限り、
誰よりも可愛がってもらっていると思うのですが、本人は真面目です。
言葉の影響力って、すごいな、とつくづく思います。
悪意はなくても、かるくおもしろがって言った言葉であっても、
言われた者にとっては、とても心が傷付く…ということがあります。
それが、誰よりも愛されたい、 認められたい と思っている
親からの言葉であれば尚更です。
傷は、心の奥、深く深く入り込み、なかなか治らないのです。
お父さん、お母さん、どうぞ子ども達に、
明るく、優しい言葉を掛けてあげて下さいね。
美しい言葉を伝えてあげて下さいね。