2009年8月13日、宍粟市一宮町の災害ボランティアに息子と参加しました。
手続きを済ませ10時前から17時前迄、
災害ボランティアセンター近くの民家へ、他グループ4名と一緒に伺いました。
その辺りは腰丈程の濁流が家の中へ流れ込んだとの事。
車もトラクターも布団も衣服も電気製品も…、
一階にあった物はほとんど使用不能に。
災害が夜だった事もあり、
気が付いた時にはお位牌等数点を持って逃げるだけで精一杯だったそうです。
しきりにお気を遣われるご家族に、
「お互い様ですよ」 と返しながら、
じょうれんやスコップで床下に溜まった泥の除去や片付けを手伝いました。
ご近所にも高校生等ボランティアが入っていて、
大変な状況の中でもまだ活気が感じられました。
「被害者だけでいると、どんどん暗くなる。
ボランティアの皆さんの明るさが救いです」
センター担当者さんの言葉にうなづきながら、
少しはお役に立てたと思っていたのですが、
その後、一宮北迄行ってみて、愕然としました。
大きくえぐり採られた道路、山から流れ落ちている大量の石、土砂、木。
泥に沈んだかの様に見える家、ゴミになってしまった物達の山、山…。
被害の大きさに、まだボランティアも入れない状況…。
あの美しかった福知渓谷のある谷は壊滅的と・・・。
躊躇いながら一軒にお声を掛けると、一本のタオルさえ無いとの事。
車に積んでいたタオル等をお渡しし、
少しでもと翌日もう一度私共で用意できる物を車に積んで、
被災された家をまわりました。
一宮町在住で宍粟市の職員の友人には、
14日朝ようやく電話が繋がりました。
疲れ切った彼女の声。
連日対応に追われ、前日には同僚が倒れ救急車で運ばれたと聴き、
せめて栄養ドリンクをと、市局に戻っていた彼女を訪ねたのですが、
中は渡すことさえ出来ない程、逼迫した空気。
被災地では誰もが疲弊しきっています。
それでも、炎天下の今日も、無惨な姿になった我家を、町を、
復旧させる為、皆、黙々と動いていらっしゃいます。
被災地へ、皆様を繋げられれば、そう願いながら書かせて頂きました。