令和からみれば昭和って


ちょっとびっくりするようなことが当たり前にまかり通っていたので


お若い方からしたらドン引きするだろうな。(笑)という「常識」だったことは


多々あると思います。(笑)



学問の実験の世界でも、動物愛護の世界でも


「いや、それはちょっとひどいんじゃない?」と


誰かが気づいて、誰かが訴えて、


変わってきたから今があるので、


過去のことを「ひどいよね~。ありえないんだけど~(笑)」とは


安易に裁けないと思います。



後から出来た法律で過去を裁くような阿呆は

東京裁判で終わってほしいものです。


閑話休題



同じように


過去の常識で今を裁くことも


できないよなー。と


さっき古いラノベを読んでいたら


あとがきで筆者が「今年はエアコンを使わずに夏を乗り切れるかなー」と書いていて、


24年前はずいぶん涼しかったんだな~、とびっくりしました。(笑)


確かに「エアコンの使用はそれなりに贅沢」という空気がありました。(笑)



話がちょっと変わるんですが(笑)


夏が近づいてくると


事件、事故、戦争の


死者を悼む空気が濃厚になるように思います。



名誉のために命を断つ江戸時代の常識は昭和の戦争にまで影響を及ぼしましたし、


共同体のために命をかける“常識”が今も機能しているのですが



私はそれを裁きません。



その恩恵のもとでぬくぬくと暮らしているのですから。



正しいとか、間違いだとか、


安易には言えない。


ただ、与えられた条件で精一杯生きたひとつの形


だと思います。



今があるのは過去のおかげ、という意味で


感謝するのも当然で。



同じように


今の私たちが


過去の先人と異なる常識で、異なる条件を生きるとしても


それは過去の先人を


侮辱したり、「間違いだ」と否定したり、することではない、と思うし、


今日も命がけで職務に当たる人を


侮辱したり、否定することでもない。


むしろ感謝する機会がないのが謎です。



変わっていくことは


時々すごく残酷です。



学校で教えてくれることは


いつもちょっと古い。



生きている今の空気を吸い込んで


自分で気づいて


精一杯生きていくこと



たくさんの人が大切にしてきた“社会”を


同じようには大事にできないこと



違うカタチで大切にすることができるなら


何ができるだろう。


できるなら目一杯


幸せで豊かであることを




お読みいただき


ありがとうございます(^^)


😌⭐✨