私は沖縄の古典芸能には


全然うとくて


「ああ✨ いい音✨」と楽しむことしかできないし、(笑)


能、狂言の知識も


お能の漫画「花よりも花のごとく」を途中まで読んだ程度なんですが


https://youtube.com/watch?v=D8BavFfDe3c&si=NYk0WTXCsWP8v72x


こちら↑の動画のお話を途中まで伺っていて


「執心鐘入」っていう演目は


能の「道成寺」に似てるな~。


アレ?同じ題材なのかな?ってググって🔍確認したら、


どうも、・・・そうみたいですね。


道成寺は、どんなお話かって、簡単にいうと


「女版ストーカー殺人事件の途中で💨


鬼だか蛇だかに変身しちゃって👹🐍


お寺も巻き込むよ🔔🔥」


みたいなお話・・・なんですけど。(汗)(笑)


演じるのがむずかしいそうで


そういう意味では特別視されているそうです。


なんで難しいかっていうと


はたから見たら恥ずかしく情けなくみっともない凶人のやらかしだけど


本人にしかわからない胸のときめきの興奮から分別をなくし、後に引けなくなったプライドと世間とのズレに思い詰めた


という理屈もあることはあって、(諸説ありますが)


その苦しさや怒り、救いを求めるもがきを


表現するものだから、


と私は認識しています。


違うかもしれません。(๑•̀ㅁ•́๑)✧キリッ(笑)



そういう意味では


“鬼”になる人は


みな悲しいのかもしれません。



能はオカルトなお話ばかりですが(笑)


そういう“浮かばれない悲しみ”を


演じてみせることで


秘めた内なる浮かばれない悲しみを


死者にも生者にも認識させてあげる助けとなってきたのかな、と



美輪明宏さんの演じた椿姫が


恋人の青年のために娼婦の自分は身を引いてくれ、と恋人の父親に頼まれて


雨の中に去っていくシーンで


ボロ泣きしたことを思い出しました。(笑)



あれは悲しかったです。(笑)


理不尽に断たれた愛情と絆。


・・・わかる。



今の私が椿姫なら、


すがったりしないし、(笑)


親父の面目そっちのけで遊び直す元カレを説教して大恥かかせますが。(笑)


ああ、台無し。(笑)


🤣(笑)


今の私が当時の私に言えることは、


・・・やっぱり必要な出会いと別れだったから


辛かったね。


おかげでずいぶん自己覚知と統合が進んだよ。


でしょうか。(笑)



そういう意味では


お舞台も


コミュニケーションの一部なのかもしれません。


自分 と 自分の感情や記憶との。



お読みいただき


ありがとうございます(^^)


😌⭐✨