英語に人生捧げたら、他のすべてを失った件 ~英語学習の恐るべき副作用~

 

グローバル化、キャリアアップ、異文化交流…キラキラした言葉に後押しされ、多くの人が英語学習の海へと漕ぎ出す現代。TOEICのスコアに一喜一憂し、オンライン英会話で世界の誰かと繋がる日々。

素晴らしいことです。しかし、その輝かしい道のりの先に、思わぬ落とし穴が待っているとしたら…?

これは、英語学習に青春のすべてを捧げた私が、その代償として失ってしまったものについての、少し悲しい告白です。

 

脳内メモリが英語に占拠される

 

人間の脳のキャパシティは、残念ながら無限ではありません。有限なハードディスクのようなものです。

英語学習を始めた当初、私の脳内メモリには、学生時代に詰め込んだ知識が整然と並んでいました。

  • 数学フォルダ: $$\sin^2\theta + \cos^2\theta = 1$$ の輝かしい公式

  • 歴史フォルダ: 「鳴くよウグイス平安京(794年)」の美しい語呂合わせ

  • 化学フォルダ: 「水兵リーベ僕の船…」と覚えた元素記号の呪文

しかし、英語学習という巨大なアプリケーションをインストールした日から、状況は一変します。

"Irregular verbs(不規則動詞)""Phrasal verbs(句動詞)""Idioms(慣用句)"… これらの大容量ファイルが次々と脳内にダウンロードされ、既存のデータを圧迫し始めたのです。

先日、後輩に三角関数について質問された時、私は自信満々にこう答えました。 「サイン、コサイン…ああ、それって何かの契約書に書くやつだっけ?」

脳の奥底から $$\sin, \cos, \tan$$ が悲鳴を上げている気がしましたが、私にはもう聞こえませんでした。

 

思考回路が「英語脳」に汚染される

 

「英語脳」を手に入れること。それは、英語学習者の誰もが夢見る境地でしょう。日本語を介さず、英語で考え、英語で話す。

しかし、この「英語脳」は、諸刃の剣でした。

日本語の持つ繊細なニュアンス、行間を読む文化、相手を慮る「忖度」の思考。これらは、英語のストレートでロジカルな思考回路とは相性が悪かったのです。

会議で、上司の曖昧な指示に対して、つい口から出てしまった一言。 "So, what's the point? To be honest, I can't see any advantages in your proposal." (で、要点は何です?正直、あなたの提案にメリットが見出せません)

会議室が凍りついたのは言うまでもありません。空気を読む能力と引き換えに手に入れた流暢な英語。果たして、これは本当に「進化」だったのでしょうか。

 

知的好奇心の矛先がすべて「英語」になる

 

最も恐ろしかったのは、知的好奇心の変化です。

かつては、新しい科学の発見に胸を躍らせ、歴史小説に涙し、経済ニュースを読み解くのが好きでした。しかし、英語学習にのめり込むうちに、世界のすべてが「英語学習の教材」にしか見えなくなってしまったのです。

  • 海外のニュースサイト: 「ふむふむ、この時事ネタはディスカッションのトピックに使えるな」

  • 科学雑誌『Nature』: 「専門用語のオンパレード。リーディング教材として歯ごたえがありそうだ」

  • 洋画: 「リスニング力向上のために、まずは字幕なしで…」

私はいつしか、情報の中身ではなく、それが書かれている「言語」にしか興味を持てなくなっていました。世界を知るためのツールだったはずの英語が、いつの間にか目的そのものになり、私の世界を狭めていたのです。

 

最後に

 

もちろん、英語が話せることで得られた素晴らしい経験もたくさんあります。世界中に友人ができ、アクセスできる情報の量は爆発的に増えました。

しかし、忘れないでください。何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。

私たちは英語を学ぶために生きているのではありません。より豊かな人生を送るための一つのツールとして、英語はあるのです。

英語の森に深く分け入るのも良いでしょう。しかし、時には立ち止まって、数学の美しい数式を思い出したり、日本の歴史の奥深さに触れたり、母国語である日本語の美しい表現を味わったりする時間も大切にしてください。

バランス感覚こそが、真の「知性」なのかもしれません。


※この記事は、一つの物事に熱中するあまり、他の分野への関心が薄れてしまうことへの注意をユーモラスに促すためのものであり、筆者の個人的な見解をエンターテイメントとして表現したものです。英語学習が客観的に他の学術能力を低下させるという科学的根拠はありません。