なぜオールドメディアは右翼・保守層に厳しいのか?その歴史的背景と構造に迫る
「テレビや新聞は、なぜいつも政権に批判的なのか」「オールドメディアはリベラルばかりで、右翼や保守的な意見を嫌っているのではないか」。
このような疑問や不満を、あなたも一度は感じたことがあるかもしれません。特に、インターネットの言論空間に慣れ親しんでいると、テレビや新聞といった「オールドメディア」の論調に違和感を覚えることも多いでしょう。
では、なぜオールドメディアは右翼・保守層に対して批判的、あるいは冷淡なように見えるのでしょうか。単なる「好き嫌い」なのでしょうか。
本記事では、その背景にある歴史的な経緯や、メディア業界が抱える構造的な問題について、多角的に掘り下げていきます。
1. 戦後の出発点:「権力への反省」という原体験
今日のオールドメディアの報道姿勢を理解する上で、第二次世界大戦の経験は避けて通れません。
戦前・戦中、日本の新聞やラジオは、軍部の発表をそのまま伝え、国民の戦争への熱狂を煽る「大本営発表」に加担しました。その結果、多くの国民が犠牲となり、国は破滅的な敗戦を迎えました。
この痛烈な反省から、戦後のジャーナリズムは「権力の監視」を最大の使命とするようになります。「二度と政府や軍部の言いなりにはならない」「権力が暴走しないよう、常に批判的な目でチェックする」という強い決意が、戦後メディアの原点となったのです。
この「権力への反省」という土台があるため、必然的に時の政権(特に、長期間政権を担ってきた自民党などの保守政党)に対しては、厳しい批判の目が向けられることになります。これは「嫌っている」という感情論ではなく、ジャーナリズムが自らに課した役割意識の表れとも言えるでしょう。
2. ジャーナリストの「属性」と「空気」
メディアもまた、人の集まりです。どのような人々が記者やディレクターになっているのか、という点も無視できません。
一般的に、大手メディアの記者には、いわゆる「リベラル」な価値観を持つ人が多いという指摘があります。これには、以下のような要因が考えられます。
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ジャーナリズム教育の影響: 大学でジャーナリズムを学ぶ過程で、「権力の監視」や「社会的弱者の代弁」といったリベラルな価値観を強く意識するようになる。
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「反権力」への憧れ: 不正を暴き、社会正義を実現する、というジャーナリスト像に惹かれて業界を目指す若者が多い。
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同質性の高い組織文化: 記者クラブ制度などに代表されるように、日本のメディア業界は比較的閉鎖的で、似たような価値観を持つ人々が集まりやすい傾向があります。その中で、組織全体の「空気」としてリベラルな論調が形成されていく側面も否定できません。
もちろん、すべての記者がリベラルというわけではありません。しかし、組織全体としてそのような傾向が生まれやすい構造があることは事実でしょう。
3. 「わかりやすさ」を求めるテレビの特性
特にテレビメディアは、複雑な物事を「善と悪」「強者と弱者」といった二項対立の構図に単純化して報じる傾向があります。
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政権・大企業 = 強者(悪)
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野党・市民・被害者 = 弱者(善)
このような構図は、視聴者にとって分かりやすく、感情に訴えかけやすいため、視聴率を取りやすいという側面があります。
保守層が掲げる「国益の重視」や「伝統的な価値観の尊重」といった主張は、こうした単純な二項対立の構図に落とし込みにくく、テレビ映えしにくいという事情もあります。結果として、政権や保守的な意見は「強者の論理」として批判的に描かれやすくなるのです。
4. 変化するメディア環境とのズレ
かつて、オールドメディアは国民が情報を得るためのほぼ唯一の窓口でした。しかし、インターネットの普及は、その状況を根底から覆しました。
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情報の多様化: ネット上には、保守系の言論サイトやニュース解説チャンネルなど、オールドメディアとは異なる論調のメディアが無数に存在します。
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言論空間の二極化: 人々は自分の価値観に合った情報ばかりに触れるようになり(フィルターバブル)、オールドメディアの論調を「偏っている」と感じる人が増えました。
オールドメディア側も、こうした変化に戸惑っているのかもしれません。長年培ってきた「自分たちが世論を形成する」という自負と、ネット上で増大する保守的な言論とのギャップが、両者の溝をさらに深くしている可能性があります。
結論:これは「嫌い」なのか?
オールドメディアが右翼・保守層に厳しい論調に見えるのは、単なる感情的な「好き嫌い」というよりも、
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戦後の歴史からくる「権力監視」という使命感
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リベラルな傾向を持つ人材が集まりやすい業界構造
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テレビメディアが持つ「単純化」という特性
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インターネットの台頭によるメディア環境の変化
といった要因が複雑に絡み合った結果と言えるでしょう。
もちろん、中には産経新聞のように明確に保守的な論陣を張るオールドメディアも存在し、一枚岩ではありません。
重要なのは、「あのメディアは偏っている」と一方的に断じるだけでなく、「なぜそのような論調が生まれるのか」という背景や構造を理解することです。それによって、私たちは情報をより多角的・批判的に読み解く力を身につけられるのではないでしょうか。
メディアのあり方が大きく問われる時代に、私たち一人ひとりのメディアリテラシーが、かつてなく重要になっています。