口だけはもうウンザリ。大阪万博を実現する維新、批判だけの他党
2025年7月、いよいよ大阪・関西万博が開催されています。会場の夢洲(ゆめしま)には、世界中のパビリオンが立ち並び、多くの来場者で賑わいを見せています。
しかし、この万博が開催に至るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。建設の遅れ、膨れ上がる費用、そして鳴り止まない批判の数々。
これらの課題が噴出するたびに、私は一つのことを強く感じてきました。それは、この巨大プロジェクトの責任を一身に背負い、どんな批判を浴びても前に進めてきたのが大阪維新の会である一方、他の多くの政党は「口だけ」の批判に終始しているのではないか、ということです。
実行する政治 vs 批判する政治
言うまでもなく、万博には多くの課題がありました。資材価格の高騰や人手不足による費用の増大は、府民・国民として看過できない問題です。野党や一部メディアがこれを厳しく追及するのは、当然の役割でしょう。
しかし、彼らの主張の多くは「問題があるから中止しろ」「だからダメなんだ」という批判のための批判に聞こえなかったでしょうか。
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「費用が増えたじゃないか!」
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「建設が間に合わないぞ!」
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「リングは無駄だ!」
では、彼らに問いたい。「では、どうすればよかったのか?」と。
具体的な対案や解決策を示すことなく、ただ問題点を指摘して政権や維新を攻撃する。それは果たして責任ある政党の姿でしょうか。まるで、自分は安全な場所から石を投げるだけの評論家です。
一方で、大阪府知事として矢面に立ち続けた吉村洋文氏をはじめとする維新の政治家たちは、批判の全てを受け止めながらも、一つ一つの課題に対して現実的な解決策を模索し、実行してきました。建設業界との交渉、国との連携、海外への参加呼びかけ。地味で、決してスマートとは言えない泥臭い仕事の連続だったはずです。
結果として、万博は開幕しました。これは、批判という「言葉」だけでは決して成し遂げられない、「実行」という行動があったからに他なりません。
なぜ万博をやるのか?未来への投資という視点
そもそも、なぜ維新はここまで万博に固執したのでしょうか。それは、この万博を単なるイベントではなく、停滞した大阪、そして日本の未来を切り拓くための起爆剤と捉えているからです。
万博をきっかけに、インフラが整備され、世界中から人・モノ・金・情報が集まる。最新の技術が披露され、子どもたちが未来に夢を抱く。この経済効果やレガシー(遺産)こそが、未来への最大の投資です。
「口だけ」の政党は、目先の費用や問題点ばかりを指摘しますが、この10年後、20年後を見据えた大きなビジョンが欠けています。彼らは、万博を中止することで得られる短期的な称賛を求めているだけではないでしょうか。
評価されるべきは「実行力」
政治家や政党を評価する上で最も重要な基準は、「口先だけの理想」ではなく、「結果を出す実行力」であるべきです。
大阪・関西万博という一大国家プロジェクトは、その試金石と言えるでしょう。多くの困難を乗り越え、批判を浴びながらも万博を実現させた維新。そして、対案も示さず、ただ安全地帯から批判を繰り返した他の政党。
どちらが未来に対して責任ある姿勢なのか。万博の会場に立ち、未来を担う子どもたちの笑顔を見れば、その答えは自ずと明らかになるのではないでしょうか。