1. はじめに

ロシアによるウクライナ侵攻は、日本とロシアの関係に長く複雑な影を落とし、従来の二国間関係のあり方を根本から見直す必要性を突き付けています。既に北方領土問題などで冷え込んでいた関係は、この戦争によってさらに厳しい局面を迎えました。本稿では、ウクライナ戦争後の日本国内におけるロシアに対する見方の変化、経済関係の実態と課題、そして地政学的な考慮事項について掘り下げていきます。

特に、「ウクライナとの戦争は私生活では体感することがないため、普通にロシアと貿易をし、資源を輸入した方が日本にメリットが多い気がします」という実利を重視する見方にも光を当て、その妥当性や背景にある複雑な要因を多角的に考察します。この記事が、読者の皆様にとって、今後の日本とロシアの関係を考える上での一助となれば幸いです。

2. ウクライナ侵攻で変わった?日本人のロシアへのまなざし

ウクライナ侵攻以前から、北方領土問題の存在などにより、日露関係は必ずしも良好とは言えませんでした。一部にはロシア文化への関心も見られましたが、国民感情としてロシアに強い親近感を抱く層は限定的でした。

この状況は、ウクライナ侵攻によって劇的に変化しました。内閣府が令和6年3月に発表した外交に関する世論調査(令和6年10月調査)によると、ロシアに「親しみを感じない」と回答した人の割合は94.3%(「どちらかというと親しみを感じない」29.7%、「親しみを感じない」64.6%の合計)に達し、「親しみを感じる」とした人はわずか5.0%でした。これは前回の調査から大きな変化はなく、ロシアに対する否定的な感情が固定化していることを示唆しています。特に70歳以上では「親しみを感じない」とする割合が高い傾向にあります。

侵攻直後の2022年に行われた読売新聞の世論調査では、実に81%が「ロシアによる力による一方的な現状変更が、日本の安全保障上の脅威になると思う」と回答しており、この戦争が日本自身の安全保障環境にも影響を及ぼしうるとの認識が広がっていることがうかがえます。この「脅威認識」は、日常生活では戦争の影響を直接感じにくいという感覚とは別に、地政学的な観点から多くの日本国民が抱いている懸念の表れと言えるでしょう。

3. 経済の絆とジレンマ:ロシア貿易と資源輸入の光と影

日本とロシアの経済関係は、特にエネルギー資源の輸入と工業製品の輸出という形で歴史的に結びついてきました。しかし、ウクライナ侵攻とそれに伴う経済制裁は、この関係に大きな転換を迫っています。

日本の対ロシア貿易:現状と品目

侵攻前の2021年、日本のロシアからの輸入額は約1兆5431億円で、主に液化天然ガス(LNG)、石炭、原油といったエネルギー資源や非鉄金属が中心でした。一方、ロシアへの輸出額は8624億円で、自動車や自動車部品が主要品目でした。この結果、日本はロシアに対して約6807億円の貿易赤字を計上していました。日本の総輸入額に占めるロシアの割合は1.82%でした。

特に重要な輸入品目としては、以下のものが挙げられます。

  • LNG(液化天然ガス): ロシアは日本のLNG輸入量の7~8%(年により変動)を供給しており、その多くは三菱商事や三井物産も参画する「サハリン2」プロジェクトからのものです。ロシア産LNGは日本の電力の3.1%を賄っていました。
  • 石炭: 日本の石炭輸入量のうちロシア産は11%(1億8260万トン中1973万トン)を占め、日本の電力の2.2%に相当しました。LNGと合わせると、ロシア産エネルギー資源は日本の電力の5.3%を供給していた計算になります。
  • 原油: LNG、石炭と並ぶ主要なエネルギー輸入源です。
  • 水産物: カニ、サケ・マス類、魚卵などが主要品目で、2021年にはロシアは日本の水産物輸入額で第3位の供給国でした。
  • 木材: かつては建築用のカラマツなどがロシアから輸入されていましたが、侵攻後の供給問題は「ウッドショック」を深刻化させました。ロシアは2022年3月、日本を含む「非友好国」に対し、チップ、丸太、単板の輸出を禁止しました。
  • 非鉄金属・レアメタル: パラジウムなどがロシアからの重要な輸入品です。

ウクライナ侵攻と経済制裁は、これらの貿易に大きな影響を与えました。日本の財務省貿易統計によると、2022年度(2022年4月~2023年3月)の対ロシア輸出額は前年度比50.5%減の38億5000万ドル、輸入額は同21.5%減の128億4700万ドルと大幅に減少しました。新車の輸出が急減する一方で中古車が増加したり、LNG輸入額が価格高騰により増加したりといった変化も見られました。ロシア側の統計でも、貿易相手国が欧州からアジアへとシフトしている状況が確認されています。

日本の主な対ロシア輸入品目とウクライナ侵攻前後の変化(輸入額・数量)

品目 輸入額 (百万円) 輸入数量 (トン) 備考 (出典など)
鉱物性燃料計 2021 945,018 - 19
  2022 1,568,620 - 19
  2023 840,162 - 19
うちLNG 2021 356,934 6,086,156 19, サハリン2など 9
  2022 695,446 6,137,274 19, 価格高騰の影響 15
  2023 449,759 5,593,197 19
うち石炭 2021 209,829 19,730,000 (概算) 19, 日本の輸入石炭の11% 10
  2022 490,031 12,889,788 19
  2023 176,035 7,214,423 19
うち原油・粗油 2021 371,266 5,500,084 (KL) 19
  2022 365,652 3,059,961 (KL) 19
  2023 1,342 1,589 (KL) 19
魚介類計 2021 138,997 118,571 19, 輸入額第3位 11
  2022 154,887 103,203 19
  2023 90,896 62,367 19
うちカニ 2021 31,077 10,609 19
  2022 26,806 8,432 19
  2023 16,053 5,268 19
うちサケ・マス 2021 26,866 32,341 19
  2022 33,998 27,128 19
  2023 15,776 13,017 19
木材計 2021 75,924 - 19
  2022 58,818 - 19
  2023 12,665 - 19
うち製材 2021 43,500 (概算) - ロシアからの木材輸入の69% 14 (2021年実績)19
  2022 48,641 530,000 (m3概算) 14
  2023 10,521 470,000 (m3概算) 14
パラジウム 2021 64,002 34,809 (KG) 19
  2022 59,671 28,940 (KG) 19
  2023 31,010 22,198 (KG) 19
アルミニウム 2021 50,037 189,690 19
  2022 94,059 200,197 19
  2023 51,542 147,033 19
ニッケル 2021 28,774 18,571 19
  2022 42,759 16,674 19
  2023 23,508 12,490 19

注: 上記の表は入手可能なデータを基に作成。木材の数量は概算値や参考値を含む。2024年の年間データは本稿執筆時点では未確定のため省略。

資源輸入のメリット・デメリット

ロシアからの資源輸入には、特に侵攻以前の論理では、いくつかのメリットが考えられていました。地理的な近接性による物流コストの潜在的優位性(特にサハリン産LNGなど)、エネルギー供給源の多様化(中東依存の軽減)、そして市場条件によっては価格競争力も期待されました。日本は多くのエネルギー資源や原材料を輸入に頼っており、ロシアはこれらの豊富な埋蔵国です。

しかし、ウクライナ侵攻はこれらのメリットを覆い隠すほどのデメリットを露呈させました。最大のものは地政学的リスクです。侵略行為を行う国、かつ国際的な制裁対象国への過度な依存は、サプライチェーンの深刻な脆弱性をもたらします 22。また、そのような国からの調達は、倫理的な問題や企業の評判リスクを伴います。制裁遵守のためのコストやリスクも無視できません。さらに、ロシア自身が日本を「非友好国」と指定し、資産処分や利益送金の困難化といった対抗措置を講じているため、信頼できるビジネスパートナーとは言えなくなっています。戦争と制裁は世界的なエネルギー価格の変動を引き起こし、たとえ直接供給が維持されても輸入コストに影響を与えています 26

経済制裁は日本にどう影響?

対ロシア経済制裁が日本経済全体に与える直接的な影響は、一部の分析では比較的小さいとされています。例えば、ロシアのGDPが10%減少しても、日本のGDPへの影響は0.06%程度の押し下げにとどまるとの試算もあります。このマクロ的な視点が、日常生活で戦争の経済的影響を体感しにくいという感覚につながっているのかもしれません。

しかし、この全体像は均一な影響を意味しません。ロシア向け輸出が多かった輸送機械製造業や、特定のロシア産品に依存していた木材産業(「ウッドショック」の深刻化 12)などは、直接的な打撃を受けました。より広範な影響は、二国間貿易量の減少よりも、戦争と制裁が引き起こした世界的なエネルギー価格の高騰を通じて現れています 26。これは企業活動や家計に広く負担を強いています。

 

4. 歴史の重み:北方領土問題と揺れる国民感情

北方四島(国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島)は第二次世界大戦終結以来、ソ連・ロシアによる不法占拠が続いており、日本は固有の領土として返還を求めています。この問題は、日露間の平和条約締結を妨げる最大の要因となってきました。

ウクライナ戦争は、この北方領土問題にも深刻な影響を及ぼしています。日本による対露制裁への報復として、ロシアは平和条約交渉の中断や、元島民らによるビザなし交流の停止といった措置を一方的に発表しました。北方領土周辺でのロシア軍の軍事活動も活発化しています。さらに、ロシア政府高官からは、四島のロシア主権を改めて強調し、交渉の余地を否定するような強硬な発言が相次いでいます。一部の専門家は、北方領土問題の状況が1956年の日ソ共同宣言時代、あるいはそれ以前にまで後退したとの見方を示しています。

 

5. 途絶える文化交流、今後の展望は?

ウクライナ侵攻以前には、限定的ながらも日露間の文化交流は存在しました。日本のポップカルチャーがロシアで受け入れられたり、ロシアの伝統芸術が日本で紹介されたりといった活動は、国際交流基金などの機関を通じて行われてきました。

しかし、戦争はこの文化の架け橋をも断ち切りました。両国政府による公式な文化イベントや交流プログラムの多くが中止・延期され、また、全体的な政治的緊張の高まりが民間レベルの交流も困難にしています。例えば、国際交流基金はモスクワの文化事業部(外国文献図書館内)の一般利用を2023年3月に停止しました。渡航制限や金融取引の障害も、草の根の交流を阻害しています。国際社会全体としても、ロシアを様々な国際的な文化・スポーツイベントから排除する動きが広がっています。

現状の深刻な政治的対立と国民感情の悪化を考慮すると、本格的な文化交流の再開は短期的には極めて困難と言わざるを得ません。将来的な関係改善には、ロシアの行動の根本的な変化と、二国間関係における信頼の再構築が不可欠です。

6. 日本の針路:国益とロシアとの向き合い方を考える

日本は現在、G7諸国との協調という同盟上のコミットメント、ロシアの侵略行為に対する国民の強い反発、そして自国が抱える北方領土問題という要因と、特定のロシア産資源(特にエネルギー)への現実的な需要との間で、難しい舵取りを迫られています。

ここで改めて、「経済的利益優先」の議論、つまり「戦争の直接的影響が少ないのであれば、必要な資源はロシアから輸入し、経済的メリットを追求すべきではないか」という視点について考えてみましょう。この論理には一定の合理性があるように見えます。しかし、これまでの分析で見てきたように、いくつかの重要な点がこの単純な図式を複雑にしています。

  • エネルギー安全保障: サハリン2のようなプロジェクトへの関与継続は、日本のLNGに対する死活的な必要性を示していますが、長期的にはエネルギー供給源のロシアからの多様化を加速する必要があります。
  • 経済的現実: 依存度を低減しつつも、制裁や地政学的不安定性がもたらす経済的影響を管理し、影響を受ける国内産業への支援も検討課題となります。
  • 国民の価値観: ロシアの行動に対する国民の強い非難は、主権や国際法に関する深い価値観を反映しています。政府の政策は、これらの価値観と広範に整合的である必要があります。

今後の長期的な戦略としては、G7パートナーとの連携を維持しつつ制裁と外交的圧力を継続する「戦略的忍耐」、エネルギーや重要物資の供給網をロシア以外に多様化し国内代替や備蓄を進める「強靭性の構築」、そして核となる原則を譲歩することなく漁業や航行安全など限定的な分野での意思疎通を維持する「慎重かつ原則に基づいた選択的関与」などが考えられます。また、ロシア政策の論理根拠を国民に明確に伝え続け、経済的影響への懸念に対応し、より広い地政学的な文脈を説明する努力も不可欠です。この危機は、「国益」とは何かを再定義する機会でもあります。それは単なる経済効率だけでなく、国際法の遵守、地域の安定、同盟関係の維持といった要素も含む、多層的な概念として捉え直す必要があるでしょう 。

7. おわりに

ロシアによるウクライナ侵攻は、日本人のロシアに対する見方を根本から変え、経済関係においては必要性とリスク・原則との間で複雑なバランスを強い、長年の懸案である北方領土問題の解決展望を一層不透明にしました。

日常生活では戦争の直接的な影響を感じにくいとしても、資源アクセスや経済的安定への希求は理解できるものです。しかし、ウクライナ侵攻後の世界においてロシアとの関係を考える際、日本はより広い視野を持つ必要があります。地政学的な現実、安全保障上の懸念、そして国際秩序に関する国民の価値観は、短期的な経済的計算だけでは測れない重要な要素です。

日本の進むべき道は、国際的なパートナーと協調しつつ、リスクを管理し、ロシアへの依存を低減し、自らの原則を堅持するという、長期的な戦略的対応となるでしょう。この文脈における「国益」とは、経済的繁栄のみならず、法の支配に基づく国際秩序の維持、地域の安定、そして国民の安全と価値観の擁護を含む、包括的なものであることを、今回の危機は改めて浮き彫りにしたと言えます。