1. はじめに:癒やしのはずが…マッサージ・整体に潜む思わぬ危険性
日々の疲れや体の不調を癒やすため、マッサージや整体を利用する人は少なくありません。リラックス効果や肩こり、腰痛の緩和を期待して施術を受けることでしょう。しかし、その手軽さの裏で、思わぬ健康被害が発生するリスクも存在します。本稿では、過去に実際に起きた事件や消費者庁などに寄せられた報告を踏まえ、マッサージや整体に潜む危険性について、専門的な視点から詳しく解説します。
2. マッサージと整体:その違いと特徴を正しく理解する
「マッサージ」と「整体」は、しばしば混同されがちですが、その目的や手法には違いがあります。これらの違いを正しく理解することは、自分に合った施術を選び、リスクを避けるための第一歩となります。
一般的に「マッサージ」とは、手や指を使って「もむ」「たたく」「押す」といった手技により、体の不調を和らげることを指します 。主な目的は、筋肉の疲労やこりをほぐし、血行を促進することで、リラクゼーション効果や疲労回復、健康増進を図ることです 。あん摩や指圧といった東洋医学に基づく手技もこの範疇に入り、古くから日本でも親しまれてきました 。
一方、「整体」は、骨格や筋肉の歪み、ずれを整えることで、体が本来持つ自然治癒力を高め、不調の根本的な改善を目指すものとされています 。施術者は手や指だけでなく、肘や足など全身を使って利用者の体をもんだりほぐしたり、骨格の矯正を行ったりすることが一般的です 。その手法は整体院によって千差万別で、機械を用いるところもあります 。
3. 施術者の資格は?知っておきたい法的な背景と無資格のリスク
マッサージや整体を受ける際に、最も注意すべき点の一つが施術者の資格です。日本には、手技療法に関する法的な資格制度が存在するものと、そうでないものがあります。この違いを理解することは、安全な施術所を選ぶ上で非常に重要です。
国家資格保有者
- あん摩マッサージ指圧師:この資格を持つ者は、文部科学大臣または厚生労働大臣が認定した学校や養成施設で3年以上の専門教育を受け、国家試験に合格しています 。あん摩、マッサージ、指圧を業として行うには、この国家資格が法律で義務付けられています 。
- 柔道整復師:同様に3年以上の専門教育と国家試験合格が必要な国家資格です 。主に骨折、脱臼、打撲、捻挫などの怪我に対する施術を行いますが、整体サービスを提供している場合もあります。 これらの国家資格を持つ施術者が開設する施術所については、広告内容も法律で厳しく制限されています 。
法的資格制度がないもの
- 整体師・カイロプラクター:「整体」や「カイロプラクティック」には、あん摩マッサージ指圧師や柔道整復師のような法的な国家資格制度が存在しません 。つまり、極端な話、誰でも「整体師」や「カイロプラクター」を名乗り、施術所を開業することが可能です 。民間団体が認定する資格(民間資格)は多数存在しますが、これらは国が定めた基準に基づくものではありません。
4. 実際に起きた!マッサージ・整体による事故事例ファイル
消費者庁の「事故情報データバンクシステム」には、2017年8月までの約8年間で、整体、カイロプラクティック、リラクゼーションマッサージなど無資格者による施術で発生した事故情報が1483件寄せられています。そのうち、治療期間が1ヶ月以上となる「神経・脊髄の損傷等」の重篤な事故は240件と、全体の約16%を占めていました 。また、厚生労働省が2012年にまとめた報告書によると、手技による医業類似行為に関する危害相談は825件あり、被害者は30代から50代が多く、性別では女性が男性の約4.5倍でした。危害発生後に医療機関を受診したケースは約78%にのぼり、そのうち33.5%は3週間以上の治療を要するものでした。主な危害部位は腰部・臀部(21.7%)、首(17.8%)、胸部・背部(16.5%)で、危害内容としては神経・脊髄の損傷(21.6%)、骨折(9.6%)などが挙げられています 。
深刻な健康被害の具体例
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神経・脊髄の損傷、麻痺: 首への不適切な施術は、特に深刻な結果を招くことがあります。首の神経を傷つけ上半身に麻痺が残った事例 や、カイロプラクティック施術後に神経症状の後遺症が残り、裁判で約1331万円の賠償が認められたケース などが報告されています。国民生活センターの報告でも、家庭用マッサージ器の事例ではありますが、「神経・脊髄の損傷」が10件、「治療期間1ヶ月以上」の事例が38件あったとされています 。厚生労働省の2012年のデータでも「神経・脊髄の損傷」が危害内容の21.6%を占めています 。
特に危険性の高い手技「首ポキ」 「首ポキ」とは、首を急激にひねったり伸ばしたりして「ポキッ」という音を鳴らす手技のことです。この手技は特に危険性が高く、国内外で深刻な事故が報告されています。
5. 特に注意が必要な手技と禁忌事項
安全にマッサージや整体の恩恵を受けるためには、特に危険性が高いとされる手技や、施術を受けるべきではない「禁忌事項」について知っておくことが不可欠です。
危険性の高い手技 厚生労働省の指導などに基づき、特に問題となりやすい行為として以下のものが挙げられています。これらは、特に知識や技術が未熟な者が行う場合に重大な健康被害を引き起こす可能性があります。
- 瞬間的に強く圧力をかける手技:これも厚生労働省の指導による危険行為として、リラクゼーション業の自主ガイドラインで禁止されています 。
- 骨格矯正、脊椎に対するスラスト・アジャスト施術:これも同様に、リラクゼーション業の自主ガイドラインで厚生労働省の指導による危険行為として禁止されています 。ただし、WHO基準を満たすカイロプラクターは脊椎マニピュレーション(アジャストメント)の訓練を受けており、適応と禁忌を適切に判断できる場合は安全性が高いとされています 。問題は、十分な訓練を受けていない者や、禁忌を見抜けずにこれらの手技を試みることです。
これらの手技、特に「首ポキ」や脊椎への強い矯正は、専門的な知識と高度な技術、そして何よりも慎重な判断が求められます。安易にこれらの手技を売り物にする施術所や、利用者の状態を十分に確認せずに施術を行うような場合は、避けるべきでしょう。
禁忌事項と施術前の確認事項 特定の健康状態や疾患がある場合、マッサージや整体の施術が症状を悪化させたり、新たな問題を引き起こしたりする可能性があります。以下は、施術を受ける前に必ず確認し、施術者に伝え、場合によっては医師に相談すべき主な禁忌事項や注意事項です。
- 一般的な禁忌・注意事項 :
- 多量に飲酒している、または酩酊・泥酔状態である
- ぎっくり腰、骨折、打撲、捻挫などの急性期(症状が最も強い時期)
- 皮膚に炎症や感染症の疑いがある(水虫、ヘルペスなども含む)
- 心臓病や脳血管障害(脳卒中など)の急性期、またはこれらの疾患の治療中で医師の許可がない
- 骨粗鬆症(骨がもろくなっている状態)
- 妊娠中(特に初期や不安定な時期。安定期であっても専門知識のある施術者を選び、必ず医師に相談する)
- 悪性腫瘍(がん)がある
- 出血しやすい疾患(血友病など)や抗凝固剤(血液をサラサラにする薬)を服用中
- 重度の糖尿病で末梢神経障害や血行障害がある
6. 「もみ返し」と「好転反応」は別物?施術後の体のサインを見極める
マッサージや整体を受けた後、体に何らかの反応が出ることがあります。これらはしばしば「もみ返し」や「好転反応」と呼ばれますが、両者は性質が異なり、時には注意が必要なサインであることもあります。これらの違いを理解し、自分の体の声に耳を傾けることが大切です。
もみ返し(揉み返し) 「もみ返し」とは、施術中に筋肉が過度な刺激を受けたり、普段使わない筋肉が無理に動かされたりすることで、筋繊維や筋膜が微細な損傷を起こし、炎症や痛みが生じる状態を指します 。
- 主な症状:施術された部位の痛み、圧痛、内出血(あざ)、だるさ、熱っぽさ、場合によっては頭痛や吐き気、不眠などが現れることもあります 。
- 原因:強すぎるマッサージ、施術者の技術不足、利用者の筋肉が極度に緊張していたり、施術に慣れていなかったりする場合に起こりやすいとされています 。
- 持続期間:通常は2~4日程度、長くても1週間ほどで自然に軽快します 。
- 対処法:炎症が起きているため、初期(24~48時間程度)は冷やすのが基本です。保冷剤などをタオルで包み、10~15分程度冷やしましょう。その後は温めて血行を促すのも良いとされます。痛みがある間は無理な運動やストレッチは避け、安静に過ごすことが推奨されます。痛みが強い場合は、市販の消炎鎮痛剤を使用することも考えられますが、薬剤師に相談するか、症状が長引く場合は医療機関を受診しましょう 。
以下のような場合は、単なるもみ返しや好転反応ではなく、何らかの健康被害が起きている可能性があるため、速やかに医療機関(整形外科など)を受診しましょう :
- 痛みが非常に強い、または我慢できないほどである。
- 症状が日増しに悪化する。
- 1週間以上経っても症状が改善しない、または悪化する。
- 施術前にはなかった、手足のしびれ、麻痺、力が入らない、感覚の異常(触っても感じにくいなど)が現れた。
- めまい、ふらつき、ろれつが回らない、激しい頭痛、吐き気・嘔吐などが続く。
- 排尿・排便のコントロールが困難になった。
7. 安全な施術所を選ぶために:消費者ができること
マッサージや整体による健康被害を避けるためには、消費者が主体的に情報を収集し、慎重に施術所を選ぶことが何よりも大切です。特に法的な資格制度が曖昧な分野では、自己防衛の意識が求められます。
資格と経験の確認
- あん摩、マッサージ、指圧を受ける場合は、施術者が「あん摩マッサージ指圧師」の国家資格を保有しているか確認しましょう 。有資格者は通常、施術所内に免許証を掲示しています。
情報収集と評判の確認
- インターネット上の口コミや体験談を参考にしましょう。ただし、極端に良い評価ばかりのサイトや、具体的な内容に乏しいコメントは慎重に判断する必要があります。施術所が口コミに対して誠実に返信しているかも、一つの判断材料になります 。
- 可能であれば、実際に利用したことのある知人からの情報を得るのも良いでしょう。
事前のカウンセリングと説明の丁寧さ
- 信頼できる施術所では、施術前に必ず丁寧なカウンセリングが行われます。現在の症状、既往歴、生活習慣、施術に対する希望などを詳しく聞き取り、体の状態を評価した上で、どのような施術を行うのか、期待できる効果や起こりうる反応(もみ返しなど)について分かりやすく説明してくれるはずです 。
施設環境の確認
- 施術所内が清潔に保たれているか、衛生管理が行き届いているかを確認しましょう。タオルやシーツなどが清潔であるか、施術ベッドの状態などもチェックポイントです 。
料金体系の明確さ
- 施術料金やコース内容、追加料金の有無などが事前に明確に提示されているか確認しましょう 。不明瞭な料金体系の施術所は避けた方が無難です。
8. 万が一、事故に遭ってしまったら
どれだけ注意していても、残念ながら施術によって健康被害が発生してしまう可能性はゼロではありません。万が一、マッサージや整体の施術後に体に異常を感じた場合は、迅速かつ適切に対応することが重要です。
1. 直ちに医療機関を受診する
- 施術後に痛み、しびれ、麻痺、めまい、吐き気など、普段とは異なる症状が現れたり、既存の症状が悪化したりした場合は、自己判断せずに速やかに医療機関を受診しましょう。特に、整形外科や神経内科など、症状に応じた専門医の診察を受けることが望ましいです 。
2. 証拠を保全する
- 施術を受けた日時、施術所の名称・所在地・連絡先、担当した施術者の氏名などを記録しておきましょう。
- 医療機関で発行された診断書、診療明細書、検査結果(レントゲン、MRIなど)、薬の処方箋、領収書などは全て大切に保管してください。これらは、施術による健康被害を客観的に証明するための重要な証拠となります 。
3. 施術所への連絡と交渉
- まずは施術を受けた施設に、健康被害が発生した旨を伝え、状況を説明しましょう。
- 治療にかかった費用や、休業による損害などについて、施術所側と賠償に関する話し合い(示談交渉)を試みることになります 。
4. 消費者センター等への相談
- 施術所との話し合いがうまくいかない場合や、どのように対応してよいか分からない場合は、国民生活センターや最寄りの消費生活センターに相談しましょう 。これらの機関では、専門の相談員がアドバイスをしてくれたり、場合によっては施術所との間に入ってあっせん(話し合いの仲介)を行ってくれたりすることもあります。
5. 弁護士への相談
- 症状が重い場合、後遺障害が残る可能性がある場合、施術所側が責任を認めない場合、または交渉が難航する場合は、弁護士に相談することを検討しましょう 。
- 過去には、整体施術による頚椎椎間板ヘルニアで後遺障害が認定され約3,797万円の賠償が認められた事例や、カイロプラクティック施術による神経症状の後遺症で約1,331万円の賠償が認められた事例など、被害者が法的に救済されたケースも存在します 。弁護士の介入により、後遺障害等級認定で適切な等級が得られたり、整骨院の施術費用を含む十分な賠償金を獲得できたりした事例も報告されています 。
9. まとめ:賢い選択で、心身の健康を守りましょう
マッサージや整体は、適切に利用すれば心身のリフレッシュや不調の緩和に繋がる有効な手段となり得ます。しかし、本稿で見てきたように、施術者の資格や技術、施術内容、そして利用者の健康状態によっては、予期せぬ健康被害を招く危険性もはらんでいます。
特に、法的な資格制度が確立されていない「整体」や、安易に行われる「首ポキ」のような危険な手技は、重篤な事故に繋がるリスクが高いことを認識しておく必要があります。無資格者による施術が原因で健康被害が発生した場合、責任の追及や十分な補償を得ることが困難になるケースも少なくありません。
大切なのは、私たち消費者一人ひとりが、これらのサービスを利用する際に「賢い選択」をすることです。
これらの主体的な行動が、未然に事故を防ぎ、万が一の事態が発生した際にも自身を守ることに繋がります。