私は今、

実家と自宅を半々で生活している。

 

7月末から再発と再発によりか、体力がなくなり、動けなくなったからだ。

 

まだ、傷病手当がいただけているので、なんとか生活していけているのが現状だけど、

 

以前と同じように、普通に、社会生活に、戻れるかという焦りは時々襲ってくる。

 

焦らずに。っと自分に言い聞かせているけど、

 

その焦りや不安、心配、困った、気にする。

という心が自分の肉体を追い込む時が数日に一回あったりする。

 

今は、

実家で食べ物の質気をつけられたりしているし、

睡眠も、途中眠れなくても、長く寝れたりするから、

なんとか体力が持っているんじゃないかなぁと思ったり。

 

漢方や栄養補助食品もとってなんとかやれてる気もして。

 

それが無かった時の生活に戻った時、

私は、自分のこのノンキャリアみたいな状態の稼ぎでやっていけるのだろうか…。

 

とか、

 

焦らず。今に集中して。穏やかな、心地よい瞬間を味わおう。と言い聞かせてもそうはいかない。

時間はあるのに。(嗅覚というか、味覚が落ちてしまっているから気分が切り替えづらいのもあるかもしれない)

 

 

だけど

 

 

今日、保育園時代を知っている、同世代のお母さんに会った。

最初は変わり果てた姿に、気づかなかった様だけど、

面影と笑顔を褒めてくれた。

 

その人の息子さんも、少し、私みたいな時期があったらしく。

 

この時期はそういうこともあるということ。

 

また、その人が若かった頃に比べて、今の若い人は大変な現状が多いということ。

 

を共感というか、感じていて、母ともそういう話をしていた。

 

 

息子さんがそういう経験をしたということで、

思い返すと、

 

子どもは、家を出てしまうことが多い中、

 

 

 

    

 

こういう時期があったことで、

 

ゆっくり親子で過ごせる時間ができてる。

 

それだけでもラッキーなことじゃない。

 

 

 

っと思ったようで、それを共有してくれた。

 

それは子どもにとってもだし、

 

大人、親にとってもだという。

 

 

 

そんな見方したことなかった。

 

 

 

この長い人生の中で、

少しでも、親子で、ゆったりとした時間が、過ごせた。

 

そんな時期があった。

ということはラッキーなことだと。

 

 

 

忙しい日々が続く中、

私の病気がきっかけだとしても、

そんな、機会を与えてもらっていること、

 

とってもラッキーなのかと。

 

 

 

もしかしたら、

ゆっくりなんかできなかったり、

親元では過ごせなかったりすることもあるだろうし、

 

働き出したら、結婚したら、子どもができたら

そんな時間を過ごすのは難しいと思う。

 

 

 

なら、今がラッキーと思って。

今のラッキーな時間を味わえばいいのよっと。

 

 

今はそうに取れなくても、

いつかそう思える日が来るから

 

って。

 

気づいたら、涙が出てて。

 

 

そっか、私って、ラッキーな時間を過ごしてるんだなぁ

っと思えた時、すごく温かい気持ちになった。

 

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人と会うと、いろんな気づきがある。

人への恐怖心を理由に

人と関わることが怖く、面倒くさくなる人もいると思うけど。

 

私は病気になり仕事を失って、

人に助けられてる。人に支えられてる。

 

人と関わることの

素晴らしさ、凄さを改めて実感することができてる。

 

人と関わることで

一瞬で、気分、心が、変わることもある。

いろんな人の見方を知れるから。

 

 

今日はなんだか嬉しい日だった。

 

そして、

 

今のラッキーな時間を

もう少し楽しみたいと思った。

 

 

 

 

 

ラッキーな時間を過ごすために、

今回のことも起こったのかもね。

 

そう思って、

笑顔で過ごしてみよう。うさぎクッキーあしあと