人間になりたい
ずっと前に人間に生まれて良かったと思いたいとか思っていたそれで、このブログも立ち上げたような気もするけどそもそも人間なのにどうしてそう思うのかここについて詳しく今向き合う予定はないけど、何にもなくなってみて何も取りに行かないでいてみて出て来たのは、人間として生きてみたいんだよ。人間として生きてみたいんだよ。安心して人間として生きてみたい。だった。自分でもびっくりだったけど、ふと思い当たる節を書いておく。私が好きだった劇団四季、があってそこで、「人間になりたがった猫」がある。そして、「ユタと不思議な仲間たち」も座敷童たちはそういうそして、「夢から醒めた夢」も死後から人間を思うそして、美女と野獣も、、、人間に戻りたい。って曲があるそして、「リトル・マーメイド」も「アラジン」のジーニもアイーダは、もっとその前というか、存在の誇りという部分。というか、存在していいかどうか、というか、尊厳の部分で、少し違うけどって、思うと、私が猛烈に惹かれていたのってここの部分。だったんだ。人間なのに、人間として生きてみたい。って不思議な感覚なんだけど尊厳を極限まで小さく、痛み、や、不調という体の反応のギリギリまで追い込まれて、追い込んでしまって出てきた、望みがこれだった。これに気がついた時。めちゃエネルギーが沸いた。他のことでは、もう、どこにもエネルギーは残っていなかった。唯一。はPOPSとMrs. GREEN APPLEのSHADOWSに行くであろう未来に向けてみたいな感覚。この、意外すぎる、パラドックス?みたいな、望みにとこの、作品たちの共通点に震えた夜。ファントムも、当たり前に人として扱われたかっただろう。グリザベラは、最後までそれをそこに立ち続けた。言語化できないけど、地位や名誉異世界、特別、物語の中、何を得てもこれが得られてない時って、苦しいのかな。人間として生きてる。感覚。感覚。人間が人間をやるには麻痺していかないと生きていけないけど、もしも、違うところか、人間をやれたなら、全てを味わい尽くすことができるんだ。怖いけど、たくさん麻痺させて来てるし、その場所がわからないけど、それを本当は安心して、味わいたかったんだろうなぁ。当たり前のこと、当たり前のようなことをなのに特別(いい意味ではなくて)普通と違う、馴染めない、そこでスラ存在させてあげられないような、そんな生き方で、だから、そういう作品やそういう考え方、そういう経験によって広がる感覚を経ていたんだ。でも、起点が変わらなければ、その繰り返しで、根幹で起こることは変わらない。それの限界がちゃんと訪れ、問い続けていたら今日。答えがきた。私は安心して人間として生きてみたかった。・・・この人間として生きたい。ああ、壁抜け男も思い出すけど、その、ありがとう。この観点から、また、作品たちをみてみたいし、分析してみたい。かもしれない。でも、一番は、作品に頼るのではなく、この肉体を使って生きてみたい。人魚姫ごっこ?なに?何ごっこ?やめて溺れるかもしれないけど生きてみてよ。こっちの起点から。