シェイクスピアと河内弁(歴史探訪その8)
※好評なので、調子に乗って作りました。
面白くなかったら、ごめんなさい
※古来より、交通の要衝として栄えた寝屋川市は、世界史の中で大きな役割を果たしてきました。その一部を、紹介したいと思います。
シェイクスピアの生涯は、大変謎が多いと言われております。
あれだけの名作を次々と著したにもかかわらず、高等教育を受けた形跡はない。
(small Latin and less Greek.)ですから、シェイクスピア別人説というのも、古くから存在します。(たとえばフランシス・ベーコン説)
奥様は、アン・ハサウェイ(これは、確かです)
ところが、近年、福田恆存さんが生前に書いた「河内弁で読み解くシェイクスピア」(中央公論社)と言う論文が、世界的な脚光を浴びる事になりました。これは、中世河内弁と、初期近代英語との文法的類似点、語彙の類似点が非常に多いという事実を、極めて論理的に立証したものです。
そうです。皆さんお気づきの通り、シェイクスピアは寝屋川市民だったんですね^^
寝屋川市で生まれ育ったシェイクスピア(日本名は不明)が、イングランドに渡って、河内弁を広めたのではないか?現代英語の基礎は、河内弁ではないか?と言う学説が今では定着しつつあります。
「河内弁で読み解くシェイクスピア」より
ロミオはん、ロミオはん、なんであんたはロミオなん?
(「ロミオとジュリエット」より)
生きとったらええんか、死んでしもたらええんか、
それが難しいねん。
(「ハムレット」より)
ブルータス、あんたはんもか?
(「ジュリアス・シーザー」より)
綺麗はばばっちい、ばばっちいは綺麗なんじゃて。。。
(「マクベス」より)
次回、
マザーテレサと寝屋川市(歴史探訪その9)
お楽しみに!