反証可能性再び | 猫さんダイアリー♪(=^・^=)

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反証可能性再び

 

 

 

「なぜ日本の研究は遅れているのか」…ノーベル賞科学者・山中伸弥が教育現場にみる、日本とアメリカの絶望的なほどの「差」

 
今、アジアはどこもそうかもしれないですけど、日本はまず受験というハードルがあるでしょう。幼稚園に入る時、小学校に入る時、中学受験、高校受験、大学受験。幼少期から、ともかく問いに対して正解を出すトレーニングを受けていますよね。教科書に書いてあること、先生の言うことは絶対正しくて、その通りに答えたらマルだし、そこに逆らったらペケ。それで点数が取れなかったら、希望の大学に入れない、そういうトレーニングを受けています。
だから失敗を経験することなく、教科書に書いてあることをそのまま答えたら目的の大学に入れるという環境で育ってきた子が大半です。そんな子がいきなり研究の世界に入ってきて、「教科書に書いてあること、先生の言うことは信じるな」とか、「実験結果で予想外のことが起こった時こそチャンスだ」とか言われても、それは簡単には受け入れられないですよ。
 
何も、ノーベル賞受賞者のお言葉を有難がる必要はない(それこそ、権威主義)んですが、
この山中伸弥さんの言葉上矢印は、私が子供の時から疑問に感じていたことをそのまま言ってくれている様で、胸がすきます。おねがい
 
私自身、15歳までは学校の勉強では大秀才でしたが、12歳ころから勉強をしなくなって(できなくなって)高校時代の成績はボロボロ。学校行くのが嫌で、先生方を悩ませました。
で、ひたすら世界中の古典文学を読んでおりました。
だから、人生の出世コースから外れてしまったんですが、考えてみたら、私が10歳代のころ、高校で先生が教えていた自然科学の知識なんて、今はもうほとんど役に立たない訳です。そういう知識を「暗記」した人たちが、「優秀」だと言われた訳ですね。で、その人たちが"失われた30年"の主役になった~(笑)
 
別に出世コースから外れた落ちこぼれのルサンチマンと思って頂いてもいいんですが、
この「権威を疑う」と言う姿勢は、どうも私たち日本人に身に付かない。
徒然草にも、
少しの事にも先達はあらまほしきものなり。
とあるくらいで、どこに行っても「前例主義」が幅を利かせる。
「教科書がすべて正しい。」と教え込まれるのは、おそらく儒教の影響でしょう。
文学の研究ならそれでもいいかもしれませんが、
自然科学にとっては、有害無益な姿勢。
 
寝屋川市では、市長が率先して「ディベート」をする訓練を子供たちにしておりますが、
これも根付かないと私は思う。ブー
「ディベート」ができるくらいなら、二大政党制が実現しているはずだから。
 
こういう日本的思考日本の特殊性をもっと掘り下げて考えないといけないと
私は思うのでありました。