TODAY'S
 
東海道五十三次ウオーキング、浜松町を通過します。

 

 

現在の静岡県の浜松から来た権兵衛さんがここの名主だったことが浜松町の名前の由来です。家康の江戸入府で現在の静岡県から多くの人が江戸、現在の東京に住み移りました。駿河台もそうですね。

 

 

 

 

 

大門

 

 

もちろんこの地名は芝増上寺の門であることを意味しています。都営大江戸線の大門駅は副名称が浜松町だそうですが、同じ駅名にすると乗り換えができるわけでなし、ややこしかったんでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

三田

 

 

浜松町を過ぎ、三田。JRの駅名ですと田町です。三田には薩摩藩の三田屋敷があり、ここで勝海舟と西郷どんが江戸城明け渡しの話し合いをしました。

 

 

 

 

 

 

東京タワーを横目に。

 

 

 

 

 

 

住友不動産ビルの裏に素晴らしい芝桜の丘。

 

 

 

 

 

 

ここは思わず寄り道したくなりますね。

 

 

 

 

 

 

高輪ゲートウエイ駅近辺はまだまだ開発途中のようです。工事の場にオバケトンネルがあるそうな。

 

 

 

 

 

 

泉岳寺

 

 

高輪ゲートウエイの前が泉岳寺です。泉岳寺といえば赤穂浪士のお墓で有名ですよね。地下鉄の駅名にもなっています。

 

 

 

 

 

 

この泉岳寺はもともと桜田門近くにあったそうで、寛永の大火で焼失後、ここに移転したそうです。移転に携わった長府毛利家・笠間浅野家・鹿沼朽木家・丹羽家・水谷家の5大名は、この泉岳寺を菩提寺としました。松の廊下事件でお家断絶となった浅野内匠頭と赤穂浪士のお墓がここにあるのも笠間浅野家の縁でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

現在では観光地化してしまってますが、当時の住職が義士の遺品の刀などを売り飛ばしたり、お墓は放ったらかしで荒れ放題だったそうです。もともと松の廊下事件も浅野内匠頭がキレてしまったのは現代目線からもNGですし、幕府から切腹を命じられたのに吉良上野介を仇討ちするのも考えようによっては筋違い、もしかしたら当時も非難の声はあったのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

浅野内匠頭のお墓です。浅野内匠頭の播州浅野家は北政所の養家、浅野家から始まっています。北政所もこの家系からこう言う形の歴史的有名人が出るとは思わなかったでしょう。最近奥様の瑤泉院のお墓と共に整備されたらしいです。

 

 

奥様の瑤泉院は浅野内匠頭の生前の名を亜久里(あぐり)といいます。吉本の映画『決算!忠臣蔵』で瑤泉院を石原さとみさんが演じましたが、瑤泉院を関西のおばちゃんっぽく演じたのはヒジョーにナイスでした爆笑

 

 

 
 
 

 

 

 

 大石蔵之助のお墓。この墓地に入るには線香を300円で買って浅野夫妻、四十七士のお墓に数本ずつ供えていきます。やはり心なしか大石内蔵助のお墓の線香が多いような。

 

 

 

 

 

討ち入りに参加表明する者は最初は沢山いたものの、残ったのが四十七人だったといいます。

 

 

 

 

 

 

四十七士のお墓と高輪ゲートウェイのビル群。

 

 

 

 

 

泉岳寺の門前にあるお店で一休み。品川宿まだあと4キロほどです。