鎌倉殿の13人では佐藤B作氏が演じた三浦義澄。三浦義澄と和田義盛の父である杉本義宗を弔った薬王寺というお寺が横須賀市の大矢部にありました。和田義盛によって創建されたお寺で三浦大介義明の息子である父と叔父を祀ったようですが、明治の初めに廃寺されました。その旧跡を訪ねてみました。

 

 

住宅街の中にポツンと薬王寺跡があります。

 

和田義盛の父、和田家の祖である杉本義宗は頼朝の石橋山挙兵の遥か前である1163年に亡くなっています。薬王寺が創建されたのが1212年ですから、和田義盛が和田合戦で亡くなる前年のことです。

 

 

 

和田義盛は北条の挑発を受け、乱をおこします。最初は味方だった三浦義村は裏切り、和田一族は鎌倉から姿を消します。三浦義村は義村の代までは無事でしたが、息子の泰村の代で北条に滅ぼされます。

 

 

 

三浦氏は杉本義宗、三浦義澄の兄弟、佐原義連の家系である佐原氏によって再興されます。その家系は室町時代まで続きますが、1513年、伊勢宗瑞、後の北条早雲によって滅ぼされます。北条早雲は執権北条氏とは直接関係なく、伊豆の代官として北条の地に住んだだけですが、伊勢氏の祖は桓武天皇とされていますのでその祖先は三浦氏と同じです。北条が最後の最後まで三浦を攻め続けたというのはなんとも皮肉な話です。

 

 

 

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薬王寺跡の近くに清雲寺というお寺があります。ここに三浦一族の廟所があり、初代為道、二代目為継、三代目義継のお墓があります。三浦義村の祖父である三浦義明は四代目になります。

 

 

清福寺には木造毘沙門天像があります。和田合戦の際に和田義盛の為に敵の矢を受けたという伝説があるそうですが、どういうシチュエーションだったのかちょっとわかりません。

 

 

 

展覧会におでかけでしたガーン

 

これっきりーですかぁー。ここは横須賀。

 

いえ、これっきりではありません。横須賀美術館での展示が終わったばかり、次回は10月7日から金沢文庫でお会い出来ます。秋の金沢文庫もきっといいですよ。