1万5千の武田軍に攻め立てられる、長篠城の奥平兵500人。
 
若い城主、奥平貞昌の指揮で、武田勢を防いでいたものの、武田勢は食糧蔵のある瓢曲輪(ふくべくるわ)を総攻撃、食糧蔵は焼き払われ、奥平勢は残された本丸に逃げ込んだ。
 
もはや絶体絶命、奥平貞昌は鳥居強右衛門(とりいすねえもん)に命ずる。
 

「そのほう、岡崎まで行って、殿サンに伝えてこい。
食糧はあと4、5日でございます、とな」
 
 
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長篠城址資料保存館の入り口に、こんなものがあるが、右下の網をくぐっているような姿も鳥居強右衛門。長篠城を脱出する時、周囲の川底には武田軍が張り巡らした網があり、それを小刀で切り裂いて抜け出した時の様子。
 

無事に長篠城を脱出した鳥居強右衛門、50km彼方の岡崎城にひた走り、家康に奥平貞昌の言葉を伝えたのだが、ここからが鳥居強右衛門のすごいところ。家康は大役を果たした鳥居強右衛門をねぎらい、湯漬を食って休んでおれ、と命ずるのだが、
 
「いえ、このまま城中に帰り、皆と苦楽を共にしとうございます」
 
長篠城へ復命すれば、援軍が間近に来ることを城兵も知り、城内はよりいっそう士気が上がるというもの。家康はそれを許し、鳥居強右衛門は長篠城へひた走る。が、鳥居強右衛門、大役を果たし気力も体力も消耗しきっていたのだろう、城に潜入する前に、武田の兵にとらわれてしまう。

鳥居強右衛門を尋問した大将の武田勝頼、まもなく徳川、織田の援軍が来ることを聞きだし、少なからず焦る。援軍が来る前に、なんとしても長篠城は攻め落としてしまいたい。

「そのほう、命は助けてやるから城に向かって、援軍は来ませんと申せ。そうすれば城兵も諦め、降伏させてやれば犠牲者も少なく済むぞ」
 
勝頼は強右衛門に裏切りを強要するのだが、強右衛門、ここであっさり承諾。城に向かって立った強右衛門、城内の奥平兵も強右衛門に気づき、「強右衛門が?武田に捕まったのか?」奥平の城兵はざわめく。城に向かって叫ぶ強右衛門。

「殿サンは数万の援軍を率いて岡崎を発した。最後の一人まで抵抗しろ!」
 
 
あっ、と驚く武田勝頼、歓喜の声が上がる城内。
 
 
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当然ながら強右衛門は、奥平の城兵が見ている前で処刑される。その処刑場所が、飯田線の線路近くにある。
 
 
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強右衛門の行動に感銘を受けた、武田兵の落合左平次、息を引き取る寸前の強右衛門にこう言った。

「お身こそはまことの武士。その最期のお姿を我が家の旗印にしとうござる」
それを聞いてわずかにほほ笑んだ強右衛門、そのまま息を引き取った。
その姿が旗印になり、さらにこんにち長篠の町のあちこちで見かけることになる。
 
 
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