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運命の日である。
この日、前夜来大坂城を進発した会津藩兵はぞくぞくと伏見に到着し、伏見奉行所に入った。
歳三はそれを門前でむかえた。
「やあ、土方さん」
と肩をたたいたのは隊長の林権助老人である。

権助、酒はあびるほど飲む。
酔っても、芸はなかった。ただ、芸とはいえないがときに、
「遊びをやりまする」
と、幼童の声を真似る。

一、年長者の言うことは聴かねばなりませぬ。
二、年長者にはおじぎをせねばなりませぬ。
三、うそを言うてはなりませぬ。
四、ひきょうなふるまいをしてはなりませぬ。
五、弱い者をいじめてはなりませぬ。
六、戸外で物を食べてはなりませぬ。
七、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。

権助は、酔うと童心にかえるたちなのか、これを高唱して子供のころを真似るのだ。


司馬遼太郎「燃えよ剣」より



この七か条は、会津藩士の子供たちが寺子屋で年長者が座長となって聞かせた『什の掟(じゅうのおきて)』だ。

江戸期を通じて会津藩は藩士教育水準の高かった藩だ。

であると同時に武士としての規律も厳しく、戊辰戦争では賊軍にまわってしまいながらも、官軍相手に果敢に戦った。

その会津藩の『什の掟(じゅうのおきて)』が教育関係者の注目を集めている。

言うまでもなく、いじめ問題に悩む教育現場で、この掟があらためて見なおされているのだ。

100年以上も前に賊軍の汚名を着た会津藩の教育指針が、時代を経て見直されているという現実は率直に嬉しい。

しかし、その背景に横たわる現代がかかえる問題の根深さには、何ともやりきれないのであるが。

什の掟が見直されたところで、先生と保護者の力関係が逆転している限りはどうにもならない(-_-;