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あなたが、神田♪

じゃ、なくて^^;

神田と言えば江戸、江戸といえば神田。

神田の生まれよ、ってくらいに東京、江戸の下町の心意気を感じる地名だ。

神田は広い。電車男やメイド喫茶などで、別な意味で有名になった、秋葉原も神田だ。

秋葉原は南北に山手線、東西に総武線が交差したJR秋葉原駅を中心に話すとわかりやすい。

交差した秋葉原駅の、総武線のやや東側の一角。ここを神田佐久間町という。

江戸時代、「佐久間町で無く悪魔町」だと言われた。

なぜ、そんなひどいことを言われたのか・・・・

火事と喧嘩は江戸の名物、名物とはいえ、住民にとってはたまったものではない。

火事は江戸時代、何度か江戸全域を燃やし尽くすようなものもあった。

住んでるものにとっては洒落にならないが、

いつでも火事で家を無くすくらいの覚悟が江戸っ子の威勢のよさに無関係とも思えないね。

そして佐久間町だが、火事の出所が佐久間町だと大火事になると言われ、鐘が鳴って火元が佐久間町と分ると江戸の市民は恐怖におののいた。

なんでも佐久間町の西隣の駿河台から吹き降ろす風が火の回りをよくするらしい。佐久間町の人たちも不名誉なことだった。

しかし、関東大震災で神田はおろか、東京の下町ほぼ全焼した際に、焼け残った街が佐久間町なのだ。

佐久間町民全員一歩も引かず、一致団結して火事を消して回ったらしい。

バケツリレーで水を運び、最後には水の代わりに豆腐まで投げつけたのだとか^^;

江戸時代からの悪名に、町民が腹に据えかねていたのかわからないが、とにかくこの時の火事は西を消し止めたと思えばまた東から火が迫ってくるような、一度消せば終わりというものではなく、消火活動は2日間に及んだらしい。

以上、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」から引用させていただいたが、私はこの江戸っ子らしい頑固さと意地で自分達の町を守った話が大好きで、

今日仕事で秋葉原に行った時、その佐久間町をちょっと遠回りして歩いてみた。

画像は佐久間町にある小学校だが、都心の小学校はこれほどにしなければならないか、と思うほど網を張り巡らせ、侵入者を阻んでいる。

下町の人情とは程遠い風景ではあるが、それでもビルだらけのこの町の一角に八百屋、定食屋があると、風景は変わっても、住む人は変わっていない、と思えることもあって、ほっとする。

秋葉原へ行ったらメイド喫茶などばかり行かずに、下町を探索してみよう(^O^)