アホリズム -2ページ目

「ぶって、ぶって」のメカニズムとは?

新年、明けましておめでとうございます<(_ _)>

なんと言うこともない、お正月でしたが、今年は、思いの他、本が読めた正月では、ありました。

そこで・・・「進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線」  (朝日出版社 (2004/10/23) by Amazon)

まずは、とても、面白かったです。と言うのも、

1.脳に関する知識が増えたこと
2.聴講生である、中高生の質問のレベルが、総じて高かったこと
3.著者の「思想」に興味を惹かれたこと

だからです。

<しかし、上記2については、正直、「日本人の若者も、捨てたモンじゃねえ!!」と、素直に嬉しくなりました・・・つか、聴講生の中高生は「慶応義塾ニューヨーク学院」て書いてありますが、もちろん、日本人ですよね?まあ、それは、横に置いといて・・・>

で、まだ中高生レベルに達していないかもしれない私においては、1に対しては、当然、著者に敬意を表しなければなりません。「先生の博識と、平易なご解説、誠にありがとうございます<(_ _)>」と、本気で、心から。

その上で、3についてです。ここで「思想」と言うのは、著者の、脳の研究と、その他もろもろから来る、「考え方」についてです。

「"意識"とは、"表現を選択できること"」

―私は、いつも「意識」を考える際に、これをどう定義づけすべきか、個人的に悩んでいたのですが、この定義は、現時点の私においては、最も、秀逸な定義であるように思えます。その意味で、非常に感銘を受けました。

と言うのも・・・そうであれば、グルシェフなどの言う、「ある外部作用に対し、決まった反応しか示すことのできない、不細工な機械」でしかない「人間」(「人間は、「機械」である by グルジェフ」エントリご参照 )は、

文字通り、「表現が選択できない」という点において、「意識」はなく、それゆえ、「機械」である

と、言えることになります。これは、脳「科学」と、(頑張っても)ある種の思い入れにしか、見えない部分を持つように思われる「哲学」との接点ができた、と言う意味において、とても、意義があるように思えます。

しかし・・・

「動物は、(自身に危害を加える可能性のある、ある物事に対し-引用者注)「こわいから避ける」んじゃなくて、「こわい」(という「クオリア」≒感情・感覚-引用者注)かどうかとは無関係に、単に扁桃体が活動したから避けているだけなんだ」

この著者の言葉を、どのように-どのような、彼の趣旨として-理解すべきなのか?

まず、前後の文章を読むと、上記の説明は、「あくまでも、脳の活動のメカニズム」である。つまり、脳のメカニズムとしては、

ある外的物事→(動物の脳内での)恐怖感生成→(生成された恐怖感に基づく)回避行動

ではなく、

扁桃体の活動→回避行動 と、扁桃体の活動→大脳皮質内での恐怖感生成 が、ほぼ同時に行われれる

ということを言っています。そして、そのことが上述の、「こわいから避けるんじゃなくて、こわいかどうかとは無関係に、単に扁桃体が活動したから避けているだけなんだ」という、言葉に至っているのです。

で・・・「こわいかどうかとは無関係に、単に扁桃体が活動したから避けているだけ」という言葉が、非常に、私にとっては、気になる言葉です。

何故なら、この言葉だけ取れば、「人間の全ての行動は、外的な物事に全く関わりなく、扁桃体の"勝手な活動"によって「支配」されている」、と「読めてしまう」からです。

<そして事実、扁桃体を破壊された動物の、ヒジョーに無秩序な行動の例が、後段で記述されているのですが、これは割愛>

私は、メカニズムとしては理解し、同意もできますし、また、扁桃体が破壊されたり、破壊までは行かなくとも、それを何らかの方法でコントロールされれば、「自分でなくなってしまう」ことは、全く同意できます。

しかし、私なら私が、「ある人の文章なり記事を読み、それに対して不快感を持ち、そして、それに反論する」という行為は、

<外的物事>ある人の文章なり記事を読み→<感情>不快感を持ち→<行動>それに反論する のではなく、

"扁桃体で勝手に生まれた"行動(を促進させる、芽)→<行動>それに反論する

ということに、なるのでしょうか?

キーは、「扁桃体は、本当に"勝手に活動"をしているのか?ある外的物事に対して、何がしかのルールに基づき、恐怖なり何なりの行動の芽が、促進されるのでは、ないのか?」ということと、

「扁桃体の反応に影響を与えるような、扁桃体と大脳皮質間での、やり取り(相互コミュニケーション)は、本当に、働いていないのか?」

だと思います。

これは、SMプレーの「快感」の本質は、

「扁桃体で発生した<「痛み」ではなく>快感の芽→行動表現としての「ぶって、ぶって」 行動 なのか、それとも、

「扁桃体で発生した「痛み」の芽→大脳皮質での、何らかの「痛み」から「快感」への変換→「ぶってぶって」行動

の、いずれか?という、大問題でも、あります(苦笑)。


しかし、非常に、含蓄に富む、刺激的な本でした。

そして、取り敢えずは、「もっと、頭を使いましょう!」ということで、新年最初のブログを締めたいと思います(笑)。

ヒト売り稼業

<派遣労働者>06年度は最多の321万人 人件費圧縮映す  (12月28日19時27分配信  毎日新聞)

いわゆる、派遣労働者の中にも、「やむなく派遣のヒト」と、「望んで派遣のヒト」が、いるとは思いますが・・・

「一般派遣の料金は平均で前年度比2.1%増の1日1万5577円なのに対し、賃金は0.5%と微増の1万571円にとどまった。日雇い派遣が多い建築物清掃の仕事では、料金は2.6%増の1万1303円に対し、賃金は8.7%減の6995円に下がっている」(記事より引用)

要は、平均で32%~38%、派遣業者は、抜いている、と。で、

「派遣会社の年間売り上げは5兆4189億円(同34.3%増)となった」(記事より引用)

実際にデータを見ていないのと、「平均」概念の問題はありますが、「集めて、転売する」だけの仕事で、やっぱ、これは、あまりにも、ボッタクリでしょう。

この「ボッタ」の内訳は、「調達コスト」+「維持管理コスト」に加え、

「派遣労働者に逃げられた場合に備えた、それこそ、"貸倒れ引当"」

ということでしょうか?(苦笑)

この「派遣業」、結局のところ、「ビジネスモデル」としては、昔の、奴隷売買やら、身売りやらと、全く同じですね。違うのは、「期間」の問題と、「本人の同意」。そして、この「本人の同意」と言ったって・・・

<この「料金-賃金」、それこそ、貸金業で上限金利規制を敷いたのと同様、何とかならないものか、と、個人的には思ってしまいます(苦笑)>


まあ、企業が、「人"財"」とか、「ヒトは資本」とか何とか言いながら、結局は、P/L上では費用でしかない「人件費」の削減に着手してから、こうなることは判りすぎるくらい、判っていたことですが・・・

また、単なる福祉予算だけのセーフティネットではなく、「人的流動性」を前提とした社会的インフラ整備 -社会人教育とか、社会保険体系などの見直し、明確な「ホワイトカラー」の定義、更には、受け入れ側になおも存在する、転職回数などによる「制限」などなど -が、進んでいない現状においては、恐らくは、この状態が、更に続くことは、容易に想像できます。

しかし、これで企業が儲かってるとか、景気は堅調な動きとか言われても・・・笑うほか、ないですね。






「姫路に新工場」の意味

  松下、姫路に液晶工場…シャープ堺に対抗  (2007年12月27日 読売新聞)

こういうことの社会的・政治的意味が、全く判っていないので、「どうでもいいハナシ」カテゴリーにしたのですが・・・
たぶん、絶対的に、何らかの意味があるのでしょうね。

「液晶テレビパネルではシャープが堺市に作る工場に次ぐ世界2位の規模となる見通し」と、上記の記事には書いてあります。

何が言いたいかというと、「なんで、わざわざ、"人件費の高い"日本に、こうした工場を作るのか?」ということです。逆に言うと、それこそ、製造業が"果敢にチャレンジしてきた"、人件費の安い、中国には、作らないのか?という観点で。

私は、液晶テレビパネルで求められる技術水準とか、この分野で求められる競争力とかについて、全く全く無知なのですが、こうした記事  を読むと・・・

「やはり、世界で戦ってきた製造業サマは、(勝負の厳しさを知っているから)見事なほど、"最適なリソース配分"を、しているのかな・・・」と、

嫌味ではなく、マジで感心してしまいます。

で・・・そうであれば、私の考える「国益」にも、適っているし・・・

<もし、そうであれば、とても嬉しい・・・(^ ^;)>

近年の、対中投資の停滞と相俟って、やや長期的観点で見た場合、日本において、真の意味での"リスク管理"ができているのは、「金融」分野ではなく、やはり世界で戦った「製造業」(特に、自動車、家電)ではないか?と、さえ、思いました。