皆様、こんにちは。
今日もブログを読んでくださり、
本当にありがとうございます。
ふと、
気づくことがあります。
それは、
気がついたら、
「冷たいお茶」
ばかりを飲んでいる、
ということです。
あ、
笑わないでくださいね。
これ、
本当に、
恐ろしい罠なんです。
たとえば、
冷蔵庫を開けます。
冷えた緑茶のペットボトルを、
手に取ります。
そして、
ゴクゴクと、
喉に流し込む。
あぁ、
生き返る!
そう思う瞬間です。
これは、
単なる水分補給ではありません。
人によっては、
日々のストレスを洗い流す、
『至福の儀式』
だったりするのです。
でも、
ちょっと待ってください。
問題は、
ここからなんです。
ほんの五分後、
また冷蔵庫を開けてしまう。
そして、
また同じお茶を飲んでいる。
気づけば、
ペットボトルが空っぽになっている。
お腹をポンと叩くと、
タプタプと、
変な音がする。
まるで、
水風船を持ち歩いているような、
そんな重い感覚です。
では、
いったい、
どうして私たちは、
こんなにも冷たいお茶を求めてしまうのでしょうか?
それは、
たぶん、
「夏の魔物」
のせいではないでしょうか。
いや、
夏だけではありません。
秋でも、
春でも、
なんなら冬の暖房が効いた部屋でも、
私たちは、
冷たいお茶を愛してやまないのです。
これは、
スゴイことです!!
私たちは、
ただ喉の渇きを潤しているだけではありません。
冷たさという、
ある種の「刺激」を、
体中に求めているのです。
そう考えると、
これは非常に深い問題です。
少し、
話しは変わりますが、
私の知り合いに、
「お茶警察」
と勝手に呼んでいる友人がいます。
その人は、
常に温かい白湯(さゆ)を持ち歩いています。
「冷たいものは体に悪い」
が口癖です。
確かに、
東洋医学的にも、
内臓を冷やすのは良くないと、
よく言われます。
でも、
ここで考えてみたいのです。
では、
冷たいお茶を飲むことは、
「悪」なのでしょうか?
それとも、
現代を生き抜くための、
『生存戦略』
なのでしょうか?
ここで、
少し視点を変えてみます。
私たちの日常を、
よく観察してみてください。
朝起きて、
仕事や家事をして、
疲れて帰ってくる。
その途方もない日常の中で、
私たちを瞬時にリセットしてくれるもの。
それが、
冷蔵庫の奥でキンキンに冷えた、
あの緑茶なのです。
つまり、
私たちが冷たいお茶を飲むという行為は、
単に水分を入れているのではなく、
自分の心に、
小さな「スイッチ」を入れている、
ということなのです。
『冷たさ』
という劇薬を、
自らの喉に流し込むことで、
「さあ、今日も頑張るぞ」
と自分を鼓舞している。
そう考えると、
あのタプタプのお腹も、
なんだか愛おしく思えてきませんか?
思えませんよね。
正直、
夜寝る前にお腹がタプタプしていると、
けっこう苦しいです。
寝返りを打つたびに、
お腹の中で、
チャプチャプと音がします。
まるで、
自分の体が、
小さな湖になってしまったかのようです。
そこまで想像すると、
ちょっと怖くなってきます。
では、
いったい、
どうしたらいいのでしょうか?
冷たいお茶を断つべきでしょうか?
それとも、
タプタプの恐怖を受け入れながら、
一生を過ごすべきでしょうか?
問題は、
その二者択一ではありません。
もっと根本的な、
私たちの「生き方」に関わる問題なのです。
ここで、
さらに話を大きくします。
地球の歴史について、
少し考えてみてください。
気の遠くなるような年月を経て、
今、
私たちはここにいます。
人類は、
火を発見し、
文明を築き、
そして、
冷蔵庫を発明しました。
人類の長年の夢だった、
「いつでも冷たい飲み物を飲める世界」
を、
私たちは手に入れたのです。
ピラミッドを作った古代の人々も、
まさか未来の人間が、
箱からボタン一つでキンキンに冷えたお茶を取り出して、
それを飲みすぎてお腹をタプタプさせているとは、
夢にも思わなかったでしょう。
そう。
私たちは今、
人類の歴史の最先端にいるのです。
冷たいお茶を飲むという日常の小さな行動は、
実は、
数万年の人類の進化の、
ひとつの「到達点」なのだと言っても、
過言ではありません。
大げさですか?
いいえ、
大げさではありません。
日常の些細な出来事と、
壮大な宇宙の歴史は、
常に繋がっているのです。
だからこそ、
私たちが今日、
冷蔵庫から冷たいお茶を取り出すとき、
私たちは、
ただのどを潤しているのではないのです。
歴史を飲んでいるのです。
文明の結晶を、
喉の奥に流し込んでいるのです。
そう思えば、
お腹が多少タプタプしたって、
なんだか誇らしい気持ちになりませんか?
ならないですかね。
やっぱり、
飲みすぎるとお腹を壊すので、
ほどほどにするのが一番だと思います。
でも、
冷蔵庫を開けた瞬間、
あの緑色のボトルを見ると、
どうしても手が伸びてしまう。
誘惑には勝てません。
人間だもの。
ということで、
今日も私は、
冷たいお茶を片手に、
この広い世界を生きていこうと思います。
皆様も、
飲みすぎには十分気をつけてくださいね。
それでは、
また次回のブログでお会いしましょう・・
少し、話しは変わりますが、
みなさんは、
普段の生活の中で、
「ふと立ち止まる瞬間」
というのは、あるでしょうか。
たとえば、
忙しい朝の通勤途中、
ふと見上げた空の青さに、
言葉を失うような瞬間です。
あるいは、
夜遅く家に帰ってきて、
鍵を開けた瞬間に広がる、
部屋の静けさ。
そういうときに、
私たちは、
何を感じるでしょうか。
「あぁ、疲れたな」
そう思うかもしれません。
でも、
それだけではないはずです。
もっと深いところで、
私たちは何かを感じ取っているのです。
では、いったい、
何を感じ取っているのでしょうか。
それは、
『自分の命の重み』
というものなのかもしれません。
少し、大きな話になってきましたね。
でも、
ちょっと考えてみてほしいのです。
私たちは普段、
自分の命の重みなんて、
ほとんど意識していません。
朝起きて、
会社に行って、
仕事をして、
帰ってきて、
ご飯を食べて、
寝る。
そんな何気ない毎日の繰り返しの中で、
命の重みなんて、
忘れてしまっています。
むしろ、
忘れていないと、
生きていけないのかもしれません。
重すぎて、
押しつぶされてしまうからです。
それでも、
ふとした瞬間に、
その重みが、
ずっしりと心に響いてくることがあります。
それは、
例えば、
古いアルバムを開いたとき。
子供の頃の自分の写真を見て、
「あぁ、自分はここまで生きてきたんだな」
としみじみと思うとき。
あるいは、
夜中に、
遠くを走る電車の音を聞きながら、
「自分は今、この世界にぽつんと存在しているんだな」
と、
妙に納得してしまうとき。
そういうとき、
私たちは、
自分の命というものと、
真正面から向き合っているのです。
そう考えると、
私たちの人生というのは、
本当に、
不思議なものだと思いませんか。
どこから来て、
どこへ行くのか。
誰も本当のところは分からないのに、
私たちは、
こうして毎日を生きている。
ごはんを食べ、
笑い、
悩み、
ときには涙を流しながら、
それでも明日に向かって歩いている。
これは、
冷静に考えると、
すごいことではないでしょうか。
奇跡的なことなのです。
宇宙の歴史から見れば、
私たちの命なんて、
ほんの一瞬の、
瞬きのようなものかもしれません。
でも、
その一瞬の中に、
すべての喜びと、
すべての悲しみが、
ぎっしりと詰まっているのです。
そう。
私たちの毎日は、
ちっぽけなようでいて、
実は、
宇宙そのもののように、
深くて広いものなのです。
ここで、
一つの疑問が湧いてきます。
では、いったい、
私たちはなぜ、
こうして生きているのでしょうか。
何のために、
生まれてきたのでしょうか。
壮大なテーマですね。
哲学の教科書にでも載っていそうな、
難しい問いです。
でも、
難しく考える必要はありません。
答えは、
もっと身近なところにあるのです。
たとえば、
先ほどの冷たいお茶の話を思い出してください。
冷蔵庫からお茶を出して、
コップに注ぎ、
それを喉に流し込む。
あの瞬間、
私たちは何を味わっていたでしょうか。
ただ、水分を補給していただけではありません。
私たちは、
『生きている喜び』
を味わっていたのです。
冷たさが喉を通る快感。
生き返るような安心感。
そのすべてが、
「ああ、今日も生きていてよかった」
という実感に繋がっていたのです。
そう考えると、
人生の目的というのは、
どこか遠くにあるものではなくて、
日々の暮らしの中の、
ほんの些細な瞬間にあるのではないでしょうか。
美味しいものを食べたときの笑顔。
温かいお風呂に入ったときの溜息。
友達と他愛のない話をして笑い合った時間。
そういう、
見過ごしてしまいそうな日常のひとコマひとコマにこそ、
私たちが生まれてきた意味が、
隠されているのです。
少し、大げさすぎましたかね。
でも、
本当にそうだと思うのです。
大きな夢を叶えることだけが、
人生ではありません。
世界平和に貢献することだけが、
価値のあることでもありません。
もちろん、それも素晴らしいことです。
でも、
それと同じくらい、
いや、それ以上に、
「今日一日を、無事に生き抜いたこと」
それが、
どれほど尊いことか。
私たちは、
もっと自分の日常を、
愛してあげてもいいのではないでしょうか。
自分の毎日の営みを、
もっと誇らしく思ってもいいのではないでしょうか。
朝、布団から出ること。
温かいコーヒーを淹れること。
誰かに「おはよう」と声をかけること。
そのすべてが、
奇跡の積み重ねなのです。
そう思えば、
日々の悩みや不安さえも、
少し違った角度から見えてくるかもしれません。
「まあ、いっか」
そう思える瞬間が、
増えていくかもしれません。
すべてを完璧にやろうとしなくていい。
失敗したっていい。
転んだって、
また起き上がればいい。
私たちは、
私たちが思っているよりも、
ずっと強くて、
ずっと温かい存在なのです。
そう、
一人ひとりが、
かけがえのない存在なのです。
自分だけではありません。
あなたの隣にいる人も、
街ですれ違う見知らぬ人も、
みんな、
それぞれの人生を背負って、
この世界を生きているのです。
そう考えると、
世界の見え方が、
少しだけ優しく変わりませんか。
トゲトゲしていた心が、
ほんの少し、
ほぐれていくような気がしませんか。
私は、そう信じたいのです。
冷たいお茶の一杯から始まったこの話が、
最終的に、
人間の生き方や、
命の尊さにまで繋がってしまいました。
でも、
すべては繋がっているのです。
小さな日常と、
大きな宇宙が繋がっているように、
私たちの一歩一歩と、
未来が繋がっているように。
だからこそ、
今日も私たちは、
それぞれの場所で、
それぞれの人生を歩んでいくのです。
うまくいく日もあれば、
そうでない日もあるでしょう。
でも、それでいいのです。
生きているだけで、
百点満点なのです。
なんて、
ちょっと説教臭くなってしまいましたかね。
失礼しました。
そろそろ、
お茶の氷が溶けてきた頃なので、
このへんにしておこうと思います。
皆様も、
冷たいお飲み物でも飲みながら、
たまにはぼーっと、
空でも眺めてみてくださいね。
きっと、
いつもとは違う何かが見えてくるはずですから。
あ、
そういえば、
窓の外を見てください。
すっかり夕方ですね。
ついさっきまで、
あんなに眩しかった太陽が、
西の空へと、
静かに沈んでいこうとしています。
オレンジ色の光が、
部屋のなかに、
ふわりと優しく差し込んできました。
さっきまで飲んでいたお茶のグラスにも、
夕日が反射して、
キラキラと綺麗に光っています。
ただのグラスなのに、
なんだか、
宝石みたいに見えませんか。
見慣れたはずの部屋が、
少しだけ、
違った場所のように感じられます。
これは、
何が変わったのでしょうか。
部屋の壁が変わったわけではありません。
景色が変わったわけでもありません。
変わったのは、
私の、
そしてあなたの、
心(こころ)の状態(じょうたい)です。
そう、
『心』が変われば、
世界が変わるのです。
自分の内側が変わるだけで、
目の前の風景が、
まったく違うものに見えてくる。
これは、
本当に、
不思議なことですね。
でも、
よく考えてみてください。
私たちは普段、
外側の世界ばかりを変えようとしています。
もっと便利な道具がほしい。
もっと広い家に住みたい。
もっとお金がほしい。
そうやって、
外側の環境ばかりを、
変えようと頑張っています。
もちろん、
それも大切なことです。
否定するつもりは、
まったくありません。
でも、
それだけでは、
本当の意味で、
満たされないのではないでしょうか。
どれだけ外側を飾り立てても、
肝心の心がトゲトゲしていたら、
美味しいお茶も、
ただの水になってしまいます。
では、
どうしたらいいのでしょうか。
問題は、
どこを見つめるか、
ということです。
外側ではなく、
自分の内側を見つめること。
自分の心を、
そっと撫でてあげること。
「今日もよく頑張ったね」と、
自分に声をかけてあげること。
そんな小さな優しさが、
実は、
世界を救う第一歩なのかもしれません。
大げさだと思いましたか。
いいえ、
決してそんなことはありません。
なぜなら、
あなたという存在は、
この宇宙の一部なのですから。
あなたが優しくなれば、
宇宙のほんの一角が、
優しさで満たされることになります。
あなたが笑顔になれば、
宇宙のほんの一角が、
パッと明るくなります。
そう考えると、
一人ひとりの存在というのは、
私たちが思っている以上に、
ずっと、
大きな意味を持っているのです。
だからこそ、
自分を大切にしてください。
あなたの隣にいる人も、
大切にしてください。
今日という一日を、
精一杯生き抜いた自分自身を、
心から、
褒めてあげてください。
さて、
本当に、
そろそろおしまいにしないと、
グラスの氷がすっかり溶けて、
テーブルがびしょびしょになってしまいますね。
おしゃべりは、
このへんにしておきましょう。
最後まで付き合っていただき、
本当に、
ありがとうございました。
どうぞ、
夜風が冷えてくるころですので、
暖かくして、
穏やかな時間を過ごしてくださいね。
またいつか、
どこかでお話しできるのを楽しみにしています。
それでは、
また。