来た来た来た来た待ってたの来たねぇ

それにしても前作のアニフェスとの振り幅よ

同一人物ですか?双子、影武者?

世界広しと言えど、この二つ両方を成立させれるのは彼のみっしょ

 

本題に行く前に言いたいことを言っておこう

 

 

アニフェス動画のコメント

自分の部屋で聞いてる時は 曲だけだけど、 それがイベントとかの大衆の前だと手拍子が起きるんいいね。 何いってんだ俺

ナイスコメントだと思う。一人で聞いている時には手拍子もしないしコールもしない。そこが動画とライブの違い。言われてみれば確かにね。そういうアクションができるというのも、ライブならではの体験。コンサートにおいても、生音はもちろんのこと最後の拍手を直接届けられるというのは動画では得られないこと。だからライブを望む声が大きいんだろうね。

 

盛り上げ方が本当にうまい。

他のネットピアニストでこれができる人って思いつかないわ。ファミリー層だったら、ハ○ミちゃんも舞台慣れしているかもしれないけど。

こういったコアな集会で、「行くぞ!」であったりピアノの伴奏を切って音を疎にして手拍子を促す、さりげなく別なフレーズを入れるなどいろんな細かい盛り上げポイント、ツボを押さえた演出ができるのは彼が会場と完全同期が取れてるから。

自分があの場に入り込むことはできないが、動画で体験した気分にさせてもらえるのはありがたい。

 

 

Y1ピアノ

終わってしまったね。連日のようにSNSで流れてきて、多くの人が楽しんでいる様子が伺えた。

ストピ論についてちょっとだけ。ストリートピアノと一言で言っても、それが誕生した背景やたどってきた歴史も国によって違う。それはその国や地域の文化であり、形式は一つではない。日本には日本のストピ文化がある。時々誰かが弾いているようなひっそりしたものもあるだろうし、今回のように集客を目的としたものもあるだろう。

 

日本では、お金を払ってコンサートに来る客よりプレイヤーの方が圧倒的に多いとのこと。演奏で食べていける演奏家は極一握り。そこから外れ、彼のような道を選んだとしても成功確率は高くない。残りのプレイヤーはというと、趣味で家で自分のために弾くだけ。教室に行っている人だったらそこの発表会と言う場があるのかもしれないが、年に一度念入りに準備して臨む唯一の機会というのもなんとも物足りない。

そんな無数のプレイヤーのニーズを満たす場として日本のストピは機能しているのだと思うよ。

 

ただ、一観衆として思うのは。ストピは即興演奏の場であって欲しいと思う。完璧さもスマートさもいらない。弾ける範囲で弾けばよいと思う。つっかえようが、途中まででも全然OK

勝手な願望、個人的な美意識で言わせてもらうと、興ざめするのが楽譜という存在

ジャンル、レベル関係なくあの場の雰囲気として楽譜というアイテムはくそダサい。さっと座ってさっと弾きだし、終わったらさっと去る。ストピで大事なのは演奏ではなく立ち振る舞い。子供であっても同じ。むしろ子供で楽譜を見ている子はおらず、レベルはまちまちだったが、どの子も好印象だった。

連弾での楽譜はアリだと思う。楽譜があっても二人で合わせるという即興性がそこにはあるから

 

 

SNSで見かけた記事

昔の速弾で有名なグレン・グールドが居た。バッハの曲を速弾したが、一音一音、しっかりたたいた。ところが『XXx』は軽い。音をなぞるだけだ。装飾されても旋律はわかるが。どうしてああいう弾き方になるのか?世界に出ても、多くの人を唸らせるだろう。聞いたら涙が出る

XXxのところには彼の名前が入っていた。彼のファンと言うわけではなさそう。たまたま彼の動画を見て唐突につぶやかれたようにみえる。それか隠れファン。いいコメントだよね。

彼のゲーム実況を横目に、ピアノ以外での活動にも重きを置く彼を何とも複雑な気持ちで見るw

 

 

 

本題

 

軽く流しても良いところから

動画の構成的には前回とほぼ同じ。動機はアンチへの逆襲、という設定

大橋さんに前回動画コメをぶつけているシーン。1つ目の金管と被って、、のところは良いとして、2つ目の「音ゲーの作曲とクラッシックの作曲が全然違う」という話。このコメの意図としてdisる要素はないように思う。単に違うということを認識しただけ。ゲーム曲のようだった、みたいな違うコメ拾ってこればつながったのにと思う。

 

「ゼロ」だよ

ここでのポイントはこれだよな。クラッシックという世界が300年から100年前くらい?までに作られた曲で、それ以降作曲する人はいないという世界。

クラッシック界しらんから適当なことを言ってしまうかもだけど、ファンも高齢化、演奏されない曲も時と共に増えてきている。今聴いてもキャッチーな普遍的な曲、いわゆる名曲しか残らない、そんな流れが加速しているんだろうなと思う。

いわゆるワケワカラン現代曲なるものも一時あったように思うけど、いつの間にかすたれた。奇抜になりずぎ、心地よさと言う感情を揺さぶる本質的な要素が欠如、演奏しても人が集まらず自然とすたれていった。

 

クラッシックの潮流としてはそうだったが、ゲーム音楽や映画音楽という、よりストーリー性に寄り添った名曲は多く出現、娯楽と言う観点ではそちらの方にシフトしたと言っても良い。

今更、クラッシックと言う領域での新たな曲は不要というのは、リスナー減、演奏機会減、演奏家あまたいる、という取り巻く環境を見ると分からなくもない。

 

本職の人は怖くて作れない

だからこそ、彼が入れる余地があるのだろう。

非本職の人がクラッシック曲を作る。それを本職の人がどう感じるかを知りたいという好奇心での実行。非本職ならではの強みは失うものが何もないこと。批判されようが無視されようが彼のキャリアにはノーダメージというところがデカい。

前回もおそらく期待してなかったところに、自称専門家の人が反応した。それだけでも大きな価値。今回動画の冒頭はそれを伝えるのが趣旨だったんだと思う。

 

彼としては一つのトライアルであり、クラッシックを知らない人も知っている人も、レアなクラッシック新曲を楽しんでほしいという意図だったと思う。彼は自身、クラッシックは好きだし聞いていると公言している。ただ今はその世界にはいないし、クラッシックを盛り立てていきたいというモチベがあるかは不明

クラッシックはさ、作っても演奏しても何しても批判される。そういう世界。ただ真っ当な意見とそうでない素人評論家の知ったかぶりな意見とが混在する。

名前出して批判する分には見識を問われるリスクを負ってやることだからいいと思うよ。ただ、匿名とはいえ自分が何者かも語らず専門ぶった話をしてくる輩は玉石混合。そこがちょっと厄介なんだと思う。

 

このトライアルは一人で成し遂げているわけではなく、編曲家、指揮者、オケ、と全員で作り上げたもの。それこそ「音楽でくっている」本職の人が関わっているわけ。こうした方がとかああした方がと言う趣味趣向の意見は無限にあるだろうけど、間違っている、という意見は滑稽。

 

例えば、コンチェルトなら最初にオケの前奏があるべき、みたいな。演奏後のインタビュー、よかったよ。両論が聞けたからね。通常のパタンに当てはめて、第一楽章~第三、第四楽章みたいな構成をイメージしたとしても、今回の曲が第一なのか第三なのかというのも意見が分かれていた。

つまり音楽は人それぞれの感性が基本で、それがたとえ専門家であったとしても意見が違えるというのは普通にある話なのだろう。

 

 

前に書いた記事を振り返ってみた。

実際にホールで聴いた時の感想

席についての不満たらたら。今思えばだいぶくどいな、自分笑

 

大橋さんメッセージを再掲

新曲ピアノ協奏曲は、アニメ音楽でもなく、ゲーム音楽でもなく、完全な「クラッシック音楽」です。一聴するとモーツアルトやシューベルト、シューマンと言った感じです。しかし、その作曲の中身はかなり現代的であり凝っています。

(略)

かなり「自由自在」に書かれています。この「自由自在」という要素は、普段から彼のピアノ演奏に表れており、彼の音楽の根幹をなすものではないでしょうか。その彼の「自由自在」を「クラッシック音楽」の枠に絶妙に収めて作曲されたのが、今回のこの新曲ピアノ協奏曲となります。

 

彼の本質を見抜いているよね。

「自由自在」が彼の音楽の根幹。「クラッシック音楽」という枠に絶妙に収めている。Jacobさんの言葉を借りると、「実験」している。この実験が独りよがりではなく、どうやったらもっといい音楽が作れるか、面白いと感じてもらえる新しい音楽が作れるか、の実験。そういう根本姿勢、理論、経験をベースとした取り組み。根拠あってのこと。そういうものは魂レベルで伝わる

 

ホールで聴いた時も前作と全く違った曲調で衝撃的だったけど、動画で聞き直して改めてその時の衝撃と高揚が蘇る。キラキラと美しい主旋律が彼らしいと思う。

ライブもあっという間だったけれど、動画で聴いてもやはりあっという間だった。前作が約8分、今回は7分15秒。若干今回の方が短いが、曲調も聴きやすくずっと聞いてられると感じる。

 

ガチの人には物足りない長さなのかもしれないけれど、持論としては、だいたいにおいてクラッシックは長すぎると思っている。メインディッシュに行くまでにどこまで遠回りさせるねんと。交響曲なんて1時間がざらだからね。その中のサビは後半ひと時、とかね。腹ペコにさせて待ちに待たせたご飯はおいしいよ、なんだろうけどきついわ。メインまでの前奏は編曲で現代人にあった長さにしてもよいと思っている。

退屈、苦痛を我慢するほど現代人は忍耐強くない。クラッシックを普及させるには現代の感覚に合わせるって必須要件だと思う。

コメの中に、同意見の人がいたわw

 

前回の曲と今回の曲

100年くらい時代が違う曲とのこと。ロマン派から更に遡り古典派へ

前回の曲もスピード感、メリハリがあって好きだった。似たような曲調だったらどっちがどうとか言えるけど、これだけまったく違う曲だと比べようがなく、どっちもええ。ただ、改めて聞き比べると今回の方がより洗練されたように思う。

演奏後のインタビューでも奏者の方が言っていたが、クラッシック楽曲として成立しており興奮して演奏した、アンサンブルが上達している、この言葉にそれが表れているように感じた。

吸収力、成長性、それを支える彼のフィードバック能力が例外なく発揮されている

 

 

コメント欄

賛否両論、期待と希望、様々な意見があって面白い。コメント欄はこうあるべきだと思う。否の場合、言い方っつーものがあるだろうと思う事もあるが、そこはネット上匿名の世界なのでいちいちつっかかってもしょうがない。

「クラッシックが好きでない自分が好きではないと思ったのでこれは間違いなくクラっしくですね」というコメント好き

こういう独特なユーモアも彼のリスナーならでこそ。

 

 

名曲になるには時間がかかる

どこまで長く引き継がれていくか。それには他のオケが演奏してくれるか、彼を知らないクラッシックファンが気に入ってくれるか、ハードルは高い

更なるブラッシュアップを重ねる、多くの時間を割く。正直に言うとそこにチャレンジする価値があるかどうかはわからない。もちろんそう取り組んでそれが実現したら喜ばしいことと思うけれど、彼のリソースは有限であり取捨選択、選ぶなら捨てなければいけないものもでてくる。やりたい事に照らし合わせ、どう判断するか。

 

単なる希望としては、細く長くでコツコツ辞めずに続けて欲しいと思う。縁や運もあってのチャンス。高く重い扉を開いたのだから。

世の中には彼と同じ、それ以上の才能を持つコンポーザかつプレイヤーはいるであろう。ただ、その人が彼と同じことを実現できるかというとできないと思っている。ビジネスとして成立させることが条件である以上、集客の裏付けは必須。彼が積み上げてきた地盤(多くのファン)があるからこそ実現した。それこそが彼の実力

 

カナフィルさんも彼と組むことで、他のオケとは違う差別化を図れている。放っておけば限りなく自然消滅に近づく芸術、文化をどう次の世代まで引き継いでいくか、現代の音楽家の力を取り込んで発展させていくというプランは悪くない。

カナフィル×彼がどう進んでいくのか、今後の展開も期待したい