ニコニコの動画出たね。

当面はコスプレ中心にしていくのか。

コスプレかつ女装w

あの会場ではそんな目立つ格好ではないし、思う存分、、ってか。

 

ネイティブフェイスでチャット欄に蛙アイコンが並ぶのは歌詞にあったのか。と、この動画で気づく。チルノの歌も初めて聞いたかもしれない。

超パーティの時には、本人が促していたコールの部分しか知らなかったので、いろいろコールがあるということも今回知った。

 

歌手の方、良かった。さすが本家です。

アニメ声だけど表現力のスゴさよ。

彼が伴奏するお相手の歌手の方って、実力派の方多いよね。そこはコンテンツクォリティとしてしっかり判断して選別しているんだろう。

今回、彼からの誘いで、彼女も喜んでコラボしてくれたという事で、改めて彼の影響力を感じる。

 

運営さんも言っていたがニコニコはオタクの世界。

一つ一つのコンテンツはニッチかもしれないが、リアルイベントで10万人も集まるとは。スゴっ。それぞれが思い思いに楽しめる「場」があり、結集するともはやニッチではなく巨大コンテンツ市場。

 

「ひとりのこらず主人公」という標語がイイね。

通常、配信する側とリスナーというと、縦の関係なんだろうけど、このイベントはリスナーも配信者と同等の立場であり、横の関係と言っている。全員が必要不可欠な存在というコンセプト。

 

観客を見ると、子供はいないけれど、若者から年配の方まで、女性も男性も、コスプレする人も普通の恰好の人も、まちまち。偏りなく、つるむことなく、それぞれが思い思いに振舞える居場所。

これが、彼が心地よく感じている世界観なんだろうと思う。

 

彼自身は、早々にニコニコからYoutubeへ主活動の場を移した。理由として、ニコニコの方がストレートできついコメが多かったので、とは言っていたが。彼がやりたい事、好きだったことをそのままやるには、圧倒的な先行者がいたから、というのもあると思う。ニッチな世界は絶対的な差別化が必要。二番煎じは通じにくいのであろう。

 

歌を主役、伴奏に徹していたせいか、ピアノの音のキラキラ感もいつもより抑え気味だったね。そういう細かいところも考えて編集しているのかと思う。

コメの中にあったきつめのコメ。ちょっと同感だった。曲の最初や最後にグリッサンドやアルペジオ。いつからか、そういう演出がはいるようになった。

現場にいるのと、画面越しに視聴するのとでは感想は違うのかもしれないが、配信越しだとちょっと過剰に思う。おそらく、盛り上げと、終わりがわかりやすいようにという意図で入れるようになったのだと思うが。間延び感とくどさが残る。

いつからか感じていたこと、今回そういうコメを見つけたので触れて見た。そのコメも、確かにきつい書き方だったけれど、通りすがりの暴言ではなく、彼のファンが故の苦言というのが感じられた。

 

Pチャンから東方メドレーがあがったね。

やっぱりね。過剰演出していない。そういう意図があるということは理解。なるほどね。よし。心の中では(グリいらんのとちゃう)と思いつつも、不問に付す。

 

ともあれ、今回の企画もコラボも楽しかった。

エヴァ量産機?もいい味出していた。彼の動画は小ネタやくすっと笑えるシーンが入っているのも、総合して満足感が高い、楽しかったと思える要因なんだろう。

 

 

 

一つ前の動画でのコメで気になるものを見つけた

ファンメとある。ファンメと言う言葉を知らなかったので、調べて見たらよい意味で使われるものではないらしい。煽り?のようなこと。

ではあったが、その「ファンメ」はそういうものではなかった。

 

その彼についての「ファンメ」を要約してみた

技術中心のピアニストが多い中、多芸で面白い

面白いピアニストはYouTubeという大きなメディアの中でもいない

技術に対して世間はそこを重視していない

上手いだけの人に淡々と弾かれても面白くない

高度な技術を持ちながらも街中の通りすがった大衆を生で沸かせる度胸、連弾や即興演奏と演出がアツいという唯一無二の特徴がある

 

多芸、面白さ、度胸、連弾、即興演奏

これらの掛合わせでYoutube界で唯一無二の存在感。彼のファンになる人は多かれ少なかれ同じことを感じているのだと思う。わざわざ言う人がいないだけで。

 

多くの人はYoutubeにはエンタメ性や実生活に役立つ情報を求めている。

ネットピアニスト、彼らもいわゆる「ピアノで食べていくことをあきらめた側の人間」であり、活路をどう切り開いていくかは常につきつけられている。

面白さを演出するために、選曲やアレンジを工夫する、ストピで観客の数や盛り上がり、派手な演奏で魅せる、連弾などに走る。

ブームから早5年。ピアノ一つでは企画がきつくなってきている。

「1番」しか生き残れないクラッシックのような普遍性があるもの以外は進化が必要。

 

彼自身、オタクでよかった、と言っているが、エンタメ性が求められる世界においてどんなエッセンスで「面白み」を出していくか、「持ち球」が問われる。そして「持ち球」を作るには時間がかかる。エンタメに必須な要素をいち早く察し、使える「持ち球」を元手に手を打つ。ニコニコからYoutubeへと軸足を移したのと同様、そのあたりの勘所、センスもビジネス的で見るとさすがだと思う。