土曜13時の定期

Xでポストしていた宇都宮でのイベント

スゴイ盛り上がり。11回目という歴史あるイベントだったのね。

 

前回のニコニコに続き、オタク系動画

共演者の方の動画も見た。彼について、プロフェッショナル、常にどうやったら数字が伸びるかを考えてやっている、と。最高の褒め言葉。

細部にとことんこだわり、大げさに言うと全身全霊懸けてやっている。そのスタンスが作品に表れ、人の気持ちを動かす。

アニメのことは何も知らないけど、動画からは会場の熱気と本気、集中力が見て取れた。アニメファンにはたまらない光景だろうし、多くの人が楽しんでいる様子は傍から見ても楽しい、そんな動画だった。

 

掛け声、楽しいね。

歌の合いの手もいいけど、共演者が出てきたときの煽りも楽しかった。男の声量とストレートな投げかけ、言葉選び、ノリ、いやー見事だなと。

それを引き出す彼のステージトーク、これも積み重ねてきたプロの所業だろうね。

テロップに引きずられたが、動画コメントを見て確認。

×「場所だけ代われー!!ピアノは弾けん!!」

○「場所だけ代われー!!ピアノは弾けー!!」

確かにw オモロ

 

今回も実力派の声優・歌手の方と共演

お相手の動画からもこの共演をうれしく思っている様子が伺えた。彼女も本業、プロの歌手。やはりプロとプロとの共演はクォリティが高く、それだけでハイレベルなエンタメを提供してくれる。前回のニコニコの共演者の方もすごかったけれど、今回もパワフルかつ伸びやかな歌声で心地よし。

彼女のことはこの動画で初めて知ったが、この世界では有名な方。逆もしかり。アニメファンからは、彼を知らなかったという声も上がっている。

そう、毎度のことだけど。未知との遭遇、サプライズ、Win-Win、コラボと言うのは1+1=2以上のシナジーがあるべき。

 

会場の集中力。おそらくルールと思うが、誰もスマホで撮影していない。

その場、一期一会の機会を最大限に集中して楽しむ。ライブと言うのはそれが本来の姿。その「一期一会」を思い出として保存しておきたい、ゆえにスマホ録画を優先する。その気持ちも分からなくはない。静かに聴くスタイルのパフォーマンスだったらそれでも良いと思う。が、一体感をもって皆で手拍子、掛け声をかけながら行うスタイルのものなら、身じろぎもせずに撮影だけをしている姿は場をしらけさせる行為でしかない。

撮影禁止のルールだったと思っているけれど、もしルール無しであの状況が作れるのだったら驚愕もの。いずれにしろ、”それ”がなかったからこそあの熱い一体感あるライブが実現できたのだろうと思う。

 

自らの卓越したスキルを用いて人の楽しませることができるというのは素晴らしいこと。今回もプロ同士のコラボを見て改めてそのことを実感する。

 

 

 

ニコニコのチルノ動画を振り返る

新しい動画がアップされるまでは前の動画を繰り返し見ている。何度か見ていると見えてくるものがある。とあることが気になった。それが確信に変わったのはTikTokでのショートバージョン。

彼にとってこの動画の一番のこだわりは、ニコニコ民を失望させないこと。長年愛着を持って大切な存在と思っているコアな人たちがこの動画をどう見るか、そこが最大の留意点なんだと思う。失望は何かというと、「違う」と思われること。「違和感」を持たれること。

 

彼が時々発言する「エアプはすぐにわかる」。わからないならROMれ、ということ。

TikTokで見えたのは、いかにストピファンを消し去るか。そういった編集になっていた。あの観客の中で誰がニコニコファンで誰がストピもしくは彼のファンか、これは彼でなくとも区別がつく。

いつかの一般人も入れる学園祭のライブで、最前列に彼のピアノファンがずらっと陣取った時に呈した苦言にも通じる。

 

ターゲットが決まっている、趣旨が明白なモノ、そこには暗黙のマナーがある。マナーと言うのは本来、そこに集う人が嫌な思いをせずに快適に過ごせる場を作るためにあるもの。

日常生活でも同じ。国、地域、地方、街、公共の場所、どんなくくりでもマナーは存在する。それはそこに住む多くの人にメリットあるもので、よそ者はそれを尊重する必要がある。

 

一般常識。理由は様々であろうが、世の中にはその一般常識がわからない人がいる。ゆえに言いたくもない苦言を呈したり、ROMれ、ということを口にしなければいけない羽目になっている。ただ統制をかけれるのはそういったことにセンスを持つ一部の人のみ。全員ではない。

今回ROMるのであれば、行くのを控える、もしくはピアノの後ろで聴く、が正解なんだろうね。少なくとも一等地は配慮が必要だったと思う。電車やバスの優先席と同じ理屈ですよ。足にギブスしている人や妊婦さん、高齢者が立っているのに、元気そうな小中学生が優先席を陣取ってゲームしていたら、誰もが違和感感じるっしょ。

 

 

 

Discord閉鎖の件

Rさんのお知らせ文をじっくり読んだ。

閉鎖の理由は、「現在の活動状況や方向性に照らし合わせた」結果とのこと。現在の彼にとって、このコミュニティはプラスにならないという意味。

過去何度も彼がぼやいていたこと。ピアノを弾くとどうしてもそうなってしまう。”そう”というのは、リスナー層の偏りと美辞麗句のこと。このコミュニティに集う人たちも多くが当てはまる。わきまえている人が多かったが。

 

思うに。例のXに投稿した下ネタへの反応、「ドン引きした」というような書き込みがあった。この白い目が引き金だったんじゃないかと思う。彼がこのコミュニティを見ているかどうかはわからないが、Rさんなり他の運営者が見てそれを彼に伝えるということは十分あり得る。

ただの憎まれ口だったかもしれないが、それは人間関係があるもの同士でしか通用しない。まぁ、これでなかったとしても結果は変わらなかっただろうけどね。

 

彼の意に沿って言動している聞き分けのあるママリスにとっては、閉鎖に対し納得いかない、寂しい思いを感じている人もいるであろう。

今回のことは、ピアノメインで美辞麗句を送りたい人たちの期待には応えられない。そういう意思表示だったのではと思う。

 

個人的な感想で言うと。自分にとってここで一番期待していたのは、Staff Rさんの言葉。なぜならリスナーでは知りえない情報や音楽知識を持っているから。

彼の演奏の特徴やスキルについての解説を断片的にでも発信してくれたのは非常に楽しかった。それがパタと止んで以降はほぼ利用価値がなくなったと言っても良い。

彼の情報を流すことは美辞麗句を助長させたり、なぜかRさんに敵意を見せるリスナーの存在、Rさんにとっても発信のメリットよりリスクの方が大きい場になってしまっていた。

 

 

 

現在の活動状況や方向性について

彼の発信、言動を逐次追っていればわかる。そして、明確に表したのがあの質問コーナー動画だったのではないか。彼の言動はすべて「意図」がある。それが直接的にすぐわからずとも、いずれそういうことだったのかという謎解きができることがある。connecting the dots.

 

あの質問コーナー動画。「Youtuberとしてやるべき」というのが表向きの理由だが、真の意図は「活動状況や方向性」についての意思表明だったのだと思う。

改めてQAからその意図を探ってみると、

成人向け(男性)の内容 ⇒ 方向性の提示

オタク ⇒ 方向性の提示

女装コスプレ ⇒ 方向性の提示

東方 ⇒ 方向性の提示

太鼓 ⇒ 方向性の提示

Youtuberという道で食べていくのに必要なこと ⇒ 方向性の理由

年収 ⇒ Youtuberの理由
黒歴史 ⇒ 雑談

ピアノアレンジ ⇒ 雑談

こんな感じか。


”人生を邪魔してきたオタクが今自分の人生を救う鍵になっている”

ここで注目したいのは、「鍵」という言葉。

オタクが救っている、ではなく、オタクが鍵となっている。つまり、今彼が本当にオタクかどうかは言及していない。オタクの知識が役立っているということ。

 

 

時代なんだろうな。

 

1つはメディア

オタクはYoutubeやSNSがなかったら、「外部」には知られないクローズドな世界のものだった。わかる人、刺さる人にしか享受できない感情や沼であり、一般の人には接点が薄かった。それがTVではない新たなメディアによって一般の人の目に触れるようになった。

 

オタクが嫌厭されたり、馬鹿にされたりというのは、その良さが理解されないというのもそうだけど、実態が見えないと言うのが大きかったと思う。

彼は、ピアノや音楽と言うスキルを用いて、その良さが伝わるように”見える化”した。

ピアノもオタクも一朝一夕では身に付けることはできない。その両方のスキルと知識を持つという希少性が差別化となり、それを活かす術を見出したという事だと思う。

 

もう一つは社会

ひと昔前はメジャーが圧倒的に支持を得、マイナーは虐げられてきた

新たなメディアの出現により埋もれていたコンテンツが怒涛の如く世に放たれ、多くの人の目に触れる機会が広がった。それに伴い、マイナーに対する理解、受容するという成熟した社会の醸成が進んだというのがあると思う。それと、何事も深い知識やスキル、熱中しているものを持っている人はカッコいいと思う価値観。モノからコトへ、という社会変化がそれを後押ししている。

 

彼の学生時代とは事情が違う。

多くの人が好むPOPsではなくマイナー路線を歩んできた。その時は「人生を邪魔するもの」であったものが、今、それが強みとなっている。もちろんそんなことは考えて熱中していたわけではなかろうが、役立つ日がくるとは。運もあるだろうが、その時にその良さに反応するセンスを持っていたこと。そのことがデカい。

 

 

 

「素敵」と「面白さ」

彼の特性が活きるのは後者。

素敵なピアニストは世の中ごまんといる。差別化を図りにくく成功確率が極めて低い世界にあえて飛び込む理由はない。

面白いコンテンツ。市場ニーズでは圧倒的にこちらの方が大きく、手段のバリエーションの広さ、支持を得られる確率も高い。

 

今後の方向性として、より他のネットピアニストとは違う路線を行くのは明らか。とはいえピアノは彼のライフワークであり手放すことはない。コンテンツのポーションを変える。単にそれだけの話。

彼は今後も時代の要請に合わせ、新しいものを取り入れ、変わっていくであろう。プロフェッショナルとはそういうことであり、彼はプロであり続ける。

 

と思っている。