前記事の続きを少し

 

何年か前に行ったピアニック

彼の出番待ちが長すぎてうんざりだった思い出

一番のうんざりは待ち時間もそうだけど、聞きたくない音を強制的に聴かされることだった

単推しは行くべきではないイベントだったと今でも思っている

なぜ単推しかってこと、どれくらいの許容範囲が自分にあるかってこと、そういった認識をもって臨むべきだった

 

たくさんのネットピアニストの演奏を聴いたけど、彼以外から「許容範囲」選ぶのであれば、菊池さんだけだなと思った

それが自分の「良し」の基準なんだろう

それ以上深く考えた事なかった

悲愴第二楽章をいろいろ聴くまでは

 

 

今回、なんとなく結論が垣間見れた

Tier1かそれ以外か。結局はそういうことなんだろうなと思う

おそらくその基準は一人一人違う。それを言い出したゆゆさんとも違うと思う。聞いてきたものが違うからね

極端なことを言うと、自分の「Tier1」以外は、そのへんのうまい小学生と変わらない。小学生と音大を出ている、もしくはそれに準ずる人たちが同じはずがなかろう

そんな単純なモノじゃないだろうと「思おう」とした

が、考えても答えは同じ。そのへんのうまい小学生と同じ、これが答えです

 

では、自分の基準は何か

カッケー、エモい、New

この3つのみ。この3つを満たす人をTier1と呼びます。それ以外をそのへんのうまい小学生と同じと見なします。

 

今、「良し」とする区分がつけられるのが限られているが、おそらくクラッシックも聴きこんだら区分ができるようになるんじゃないかな。やらないけど。

クラッシックは1曲が長いし面白くない曲の方が多いので時間がもったいない。中学生のころはドビュッシーが斬新に思えた。一番好きな曲は「月の光」だったのに、今は聴きたくもない。タルいし音の重なりも気持ち悪い。

なぜそう思うようになったのかはわからない。聞きすぎて飽きたのかもしれないし、感性が変わったのかもしれない。

 

話を戻すと、この3つの要素は「狙って」いかないと生まれない。

感性と理論、研究が必要。発想力を養うのにあまねく広い情報を、それこそ"connecting the dots"なんだろう

そこに強い興味と面白さを感じる人でないと踏み込まないだろう

そしてこの3つを「狙って」やっている人は多くはない

彼以外だとか○ぃんさんくらいかな

カッケーとNewだけだったらKちゃんやも当てはまるかもしれない

カッケーとNewはJazzと相性がいい。Jacobさんがまさにそうだろうね

 

Jazzも好きじゃないんだよね。今まで言う必要なかったから言ってこなかったけど。

本格的なやつね。アドリブ感が強すぎて、音楽なのか?みたいな、攻めすぎて一人よがりになりすぎる傾向があるのがダメ

音楽の基本、メロディ、リズム、ハーモニーがなくなった時点で音楽じゃないと思うんで。まだ音楽という体系が出来る前、太古の昔に木の棒で何かを叩いて音を出して何か「奏でていた」のと同じ。一歩間違えるとそれと大差ないって思うわ

成功確率の話なのかもな。その場で即興でカッケーとNewを出す確率。Jazzが低く感じてしまうところに敬遠の要因があるか

 

 

 

ここ最近ネットピアニスト界を見て思う事

コラボ、多くない?

多いと言っても「イツメン」か

どういう狙いなんだろうな。真面目に分からん

1+1が2以上になってるのか?そこに「何か」が生まれているのか?

集客も1+1=3になっているのか?

単推し視点で見ると、そういったシナジーがなければ、単に推しの持ち時間が減るだけでいいことは何一つない。

 

例えは、1.彼とか○ぃんさん、2.彼とハ○ミちゃん、3.彼と北の同級生

この組み合わせでコラボの意味があるのは1だけ。自分にとってはね

後は、何の化学変化も起こりそうにないじゃん。1+1=0.8ってこと(減っとるやん!)

Jacobさんもありだな。相性として

 

 

後、これは組織の話なのかもしれないけど、かなり格式高いホールでコンサートやイベントをやるよね。ちょっと昔だったらごく限られた一部の一流音楽家の特権だったであろうところが。敷居下がったね。クラッシック人口が減っている、ホールが空いているという商業側の理由もあるのかもしれないな。

これについては特になんとも思わないけれど。自主公演なのでお好きに、だし、別に部不相応だろうという気持ちもない。

ただそれに慣れていないので、ちょっとした違和感は感じる。そういう時代になったということなんだろうな

 

 

連続で好き勝手なことを書いた

ま、たまには何も考えずどうでもいいことを書き殴るのもお許しあれ