浜松市の楽器博物館に行ってきた

ここが目的ではなく旅先にあったので寄った

特に何が目当てというのはなかったので期待してなかったんだけど楽しめた

 

チェンバロのデモ演奏があったんだけど、初めて聞くからか結構衝撃的だった

思っていたよりずっと鋭い?弦を爪ではじくようなピンっピンっってな音だった

鍵盤は数えてないけど今のピアノの半分くらい?形はグラピなんだけどそれをほそーく押しつぶしたような形、丸くなかったな、先端は尖ってたな。フランス製とドイツ製で装飾が違うとか。

16世紀ごろ、日本の室町時代と言っていたように思う。

最初は、他の楽器や歌の伴奏に使われていた楽器。そこから室内楽、ソロ演奏で使われるようになり、大衆の前で演奏するように、形も構造自体も弦をはじくのではなくハンマーでたたく形式に変わり今に至ると。

貴族の音楽から大衆音楽へ、王政から議会制へという時代の波で変化していったというのも大きい。

 

こういうのってネットで見たり本で知ったりもできるけど、実際にモノを見ながらそういう背景を知ると心に残る

 

ところどころにヘッドフォンが置いてあって曲が聞ける。

ベートーベンのピアノソナタ8番を聞いたんだけど、何だっけこれ?とその場では出てこなかったんだけど、気になったので調べてたら、有名な「悲愴」でした。特に2楽章が有名、誰もが聞いたことがある。

唐突にハマってYoutubeでいろんな人の演奏を数十回聞いた。

クラッシックなぞ違いがよくわからんと思ってた。いや、今もそう思ってるけど

何十回聞くとようやく違いが少しわかるようになる。なったような気がする

 

音と音のつなぎ方、一つ一つの音の強弱、音と音の間に存在する間

この3つの要素をどれだけ精巧に構成し演奏するかで「違う」らしい

とあるYoutube動画で見た

 

「悲愴」第二楽章は、ものすごくゆっくりな曲で一音一音が存在感あるので、特にこの3つの要素が感じやすい、わかりやすいように思う

おそらく、速い曲や音数が多い曲はその良し悪しを判断するのが難しくなる、というか素人では判断しにくいのだろうと思う

 

この「悲愴」を何十回聞いた感想としては、違いますわ、全然、まったく

ゆゆさんが前にピアニストの格付けをしていて、Tier1とかTier2、Tier3とか言っていたけど、わかる人には明確にランクがみえるんだなと、ふとそれを思い出した

「弾ける」「弾けない」という区分で言うと、小学生でも「弾ける」子はいる。「弾ける」人はそれこそごまんといるのだろう

 

ゆゆさん流に言うとTier1に属するのがそのごくごく一部だということ。大抵は聴く側がそこまでわかって聴けているわけではないので、Tier1から3までの区分が出来ずにいる

分かる必要があるかはなんとも言えんが、わかって聴いた方がより深く音楽を感じ取れるんじゃないかと思う。

だから「Tier1」の演奏にはそれだけの価値を認める人がそれに見合う対価を払って時間を割く

 

「弾ける」「弾けない」は「食べれる」「食べれない」、「着れる」「着られない」と同じレベルの話

自分が何を「良し」として何を望んでいるか

その意識が「選択」という形で表れるのだろう

 

悲愴第二楽章

反田恭平さんと辻井伸行さん、これだけ音を繊細に操れる人がいるんだなとただただ感服

と同時に、ゆゆさんを思う。この人もすごい数のクラッシックを聞いてきて、何を「良し」かがわかっている。ベースがある人はそれだけ楽しみ方を知っているんだろうなと、ふと思った