新年早々暗い出来事が続き、こういう年明けもあるのだと知る。

一刻も早い復旧と通常生活に戻ることを心から祈る

 

 

ちょっと間があいてしまったがまずは年越しピアノ生放送。視聴しました。

1時間半、あっという間だった。初めて聞く曲も、十八番の曲もどれも心地よい。彼の演奏は何時間でも聴ける。

技巧や完成度じゃない。「表現力」なのか「エネルギー」なのか、世界観と魂へのシンパシーなんだろうな。リスナーとの間の強固なコネクションになっているのが。

個人的には幸せな年明けでした。

 

 

懐古ってほどのことではないが、新しい年始まりにあたり、去年1年間分の自分のブログを見返した。

よくこんなに書いたなと。最初の感想は「数」に対して思う。

次に「長い」、その次に「わかりにくいわ」と思う。

 

言い訳としては、

「数」がそれなりになったのは、それだけアウトプットしたくなるインプットがあったということ。

 

「長い」に関しては、思考や気持ちを構成も考えず思うがままに書き連ねているからそうなる。一シロウトのメモで洗練させる気がないので仕方ない。(開き直り)

 

「わかりにくいわ」は、言及対象を明示せずに書いているから。まぁ、”メモ”という意識なので一時的、短期的なんだよな。後で見かえすことを考えていない。やろうとすると思い出すのにちょっと時間がかかるのと、補完しながら読まなければいけないので負担かかる。イマイチだわ。。

 

読み返した感想としては(自分で自分の感想を述べる笑)、いろいろあったなというのと、今時点でこれは違ったわというのはなかったというのと、思考のためのツール、情報が大事だと改めて思うのと。我以外皆我師を実感。気づきと学びをいただきました。

 

結局、音楽、ピアノに造詣深くない自分がなぜ彼の音楽、彼と言う存在にこうまで惹かれるのか。その理由を知りたい。ただその一心なんだなと思う。

 

 

 

今日の考察

 

活動者は誰でも「表」の顔と「裏」の顔がある。

ネット活動者は芸能人と、売り方、媒体が違うだけで基本的には同じ。ネット活動者の方がチャットやコメントなどでリスナーと双方向コミュニケーションが時にあるため、芸能人より身近に感じることは否定しない。が、どんな形であれリスナーやファンと接している顔は作られた「表」の顔であり、素の姿ではない。

「表」の顔を素の姿だと信じその「お人柄」に惹かれる。というのを、ネットピアニスト界隈ではよく見かける。

 

「表」の顔が「お人柄」なわけがない。

エンタメの世界での生き方。好感度を上げる。炎上リスクを下げる。客商売、客が望むものを提供する。そこに焦点を合わせた「表」の顔の創造が必要。

逆に言うと、「表」の顔を作れない、自分自分の人は残念ながら客商売が出来ない、向かない。エンタメの世界では「表」の顔を作るスキルが必須であり死活問題。

 

という前置きをした上で、

 

ネットピアニスト界では「お人柄」へのウエイト高いリスナーが多いよね。

確かに知能的で巧妙にできていると思う。誰に向けて何を発信するかその意図、効果、すべて計算済み。そこにあるのはメリットの有無だけ。だいぶ口悪く聞こえちゃってるかもしれないが、極当たり前のことを言っているつもり。活動者の言動はすべて公私でいう「公(ビジネス)」ですよ。

 

そういう意味では、「お人柄」ではなく「キャラ」と言った方がしっくりくる。

「表」の顔=「公(ビジネス)」上の仮面=作られた「キャラ」、であり

「表」の顔≠「私(素、人間性)」

「お人柄」だったら途中で変わるのおかしいけど、キャラだったら売り方を変えるのであればキャラ変もアリ。実際、彼も何度かキャラ変しているしね。

 

そんなキャラ変する彼に振り回されず、コアな単推しファンを続けられている理由は何か?

その一つがまさに「お人柄」なんだと思う。キャラではなく素のほう。

 

通常、近しい人間でないと素はわからない。それはすべての活動者全員共通。

なぜなら、”我々が見える活動者の言動はすべて「公(ビジネス)」”であるから。ビジネスに徹する以上、ビジネスに利がないことは行わない。常識。

この常識を覆し、炎上リスクを取る、火中の栗を拾う、こういったビジネスタブーな言動を行ったときに初めて素が露呈するのだと思う。

 

今、思い浮かべているのは、去年の「ストピ騒動」。ストピをコンテンツとして扱うネットピアニストの中で真っ向から持論を世間にぶつけたのは彼だけだった。そしてそれに関して計5回くらい?自分はブログ記事として書いた。

 

なぜ自分はそこまで発露し反応したか?

それは彼の素の部分に触れたから。と、今になって思う。

素、人間としての芯、そこがしびれるほどカッケーのよ。

コアな単推しファンはそこに気が付いている。衝動的に垣間見せる彼の素に。ゆえに表面上のキャラ変には動じない。

というのが今時点での仮説であり推論。

 

災害や事故、事件などが畳みかけるように起こり。

それに対する活動者の言動を横目に考察してみました。

 

蛇足ながら、

「表」の顔=「お人柄」と捉えている人に対し「目を覚ませ!」と言う意図は全くない。なぜならそれがその人にとって最もハッピーな状態であると思うし、推し活においてハッピーは絶対の正義であるから。

 

 

彼から新しい情報も動画もアップされた。

書きたいがこれ以上書くと長くなる(既に長い)。

今年はもう少し端的にスマートに記事を書けるようになりたい。(無理)

 

一旦〆よ