面白かった!
AIイラスト、ChatGPT作曲
彼の好奇心によるところ
この好奇心が分野を超えた人脈を作り出しているんだろうなと思う
やねさんのこと、大好きだよね。一見交わらなさそうなところにいながら、ゲーム?ピアノ?AI、最先端に興味があるところ?気が合うというか、お互い引かれるものがあるんだろうね。
同種のもの同士ではシナジーは生まれない。異種だからこそ生みだせる「新しいもの」「面白いもの」、それがあるからつながっているんだろうと思う。
そういう異種のキーパーソンとのつながりは幅を広げる上で有益
Akineさんもそうだけど、プライベートではいい交友関係持っていると思うわ
動画を作るつもりはなかったのでちゃんとカメラを回してなかったと言っていたが、それでもなんだかの撮影はしていたことで、この動画が世に出た。
Youtuberの習性、万が一、勘所さすがですな。
ボールマウスで絵を描こうとする根性?
AI生成画像をお手本に修正していく成長度合い?
お見事でしたw
ChatGPTの作詞とコードを用いた作曲
彼らしい爽やかな曲。いい曲だった
そしてAkineさんとのLINEやり取りと最後のオチ
〆方もお見事ww
AIイラスト補正?どんなもんだか試してみたくなり、ググったらクラウド上で試せそうだったのでやってみた。
コマンドを駆使しないといけないのでハードルはそんなに低くない。まずはネットのサイトに載っていたまんま動かしてみた。
画像生成AIであるStable Diffusionのモデル、ライブラリを使って、Google Colab(Googleアカウントを持っていたら誰でも無料で使える)で彼と同じことをやってみた。
結果、こんな感じ。左がマウスを使って書いた絵、右が生成AIを使って作成された絵
ナニコレ、怖すぎるwwwww
どうやら、画像生成AIはどんなモデルを使うか(学習データ、何向きか)とパラメタ調整がポイントらしい。
それをうまく使いこなさないと欲しい画像は作成されない。
Google Colabはクラウド上の計算リソースを使うので、無料の場合制約がありどこまで高品質、高精度にできるかはわからない。ローカルでやる場合はGPUが必要で、普通家にGPUマシンがあるというのはゲーマー以外おらんやろ。
ちなみに、どんな絵にしたいかの設定を”呪文”と呼ぶらしいが
サンプルは、
# プロンプト
prompt = "the style of Gogh"
ゴッホ風?となっていて、そのまま実行すると、ひげを生やしたおっさんが出力された笑
girl なり cute、beautiful、なり入れて見たがへんてこな絵しか出てこない。
で、ズバリ初音ミクを入れて見た
prompt = "hatsune miku"
そうして出てきたのが上の絵。いやー、”ミクちゃん”で行けるんだ、と。
やるなAI
今のところこれ以上深入りする気はないんだけど、こうやってさわりだけでもやれてまぁ面白かったですわ。
動画で一瞬出てきたCUBASE-PROの起動画面
もしかして?と思って動作環境を調べて見たら、GPU必要なんだね。
なるほど。AI動かせる環境、持ってるのね。
AIについては、今後人類にとってどういう存在、目的で使うか
事故などヒューマンエラーによる不幸な出来事が減る、人の幸せに寄与するツールであって欲しいと思う。
ストピマナー問題のニュース再び
利害対立する人がいる以上、クレームする人がいる以上、収まるのは当面先か
そんな折に、例のクラッシック解説をしてくれている車田さんチャンネルから1週間前ほどに出た動画。「静寂の力」という主題だったんだけど、その中でストピについてちらっと触れられていた。
人は聴きたい音楽に対し静かに耳を傾ける。聞きたくない音楽を聞かされるのは苦痛。ストピではそれが起こっている。と
一方、彼も”ストピ問題に物申す動画”の中で「今日はその曲を聞きたい気分ではないんだよな。ということもある」という話をしていたが、まぁやはりトラブルの根本はそこなんだろうな
聴きたくない音を強制的に聞かされること
この車田さんの言葉が自分には刺さった
そういう経験を思いだしたから
「嫌な音から逃げられない」苦痛って、経験した人にしかわからないと思う。
ストピの場合、通りすがりの人から傍らに店を構える人など、その苦痛を味わう確率、時間は人により違う。
通りすがりの人は短時間だから許容範疇、と勝手ながら思っていた節があった。
しかしながら、人はそれぞれその好き嫌いの感度、許容度はまちまち。感度が高く、許容度が低い人であればたとえ短時間であっても「嫌な音」は耐え難いものなのかもしれない。例えば毎日の通勤通学で通らざる負えない場合など
過去の経験
2年前のこと。GWまっただ中、とある地方で開催された国内最大級のストリートピアノイベント。彼も参加したイベント。ソロ、コラボ含めて約6時間近くぶっ通しで9人の演奏者がピアノを弾きまくる。2日間開催されて、彼のソロ演奏の出番は最後か最後から2番目。
結論から言うと単推しは行くべきではないイベントだった。
恐ろしく「待ち時間」が長かった。楽しめたのは最初の2人まで。1人が30分近くも弾くのは長い。長すぎる。
単推しの人は想像して欲しい。推し以外の人のYoutube動画を1人30分、熱量高い曲を大音量ガンガン弾くのをとっかえひっかえ8人の演奏者分連続で聞くことを。再生を止めることも、アプリを閉じることもできないことを。
我慢大会でしかない。
そう。好きではない音を強制的に聞かされるとはこういうこと。
コンサートホールだったらホールの外に出れば音から逃れることができる
が、屋外はムリ、逃げ場がない。会場の中外関係なく同じ音量の音がどこまでもつきまとう。
演奏者や曲の良し悪しではない。彼らには非はない
そこにあるのは聴く側の極めて個人的な理由。自らもコントロールできない、「音」のインプットに対する「感情」という反応。その音、その演奏が「聴きたくない」という心の叫び
そこで悟ったことは、自分が単推しであることの再認識とYoutubeが「聞きたくない、見たくない」ものを回避することが出来る素晴らしい配信プラットフォームだということ。
目的の彼が出てくるまではひたすらその苦行に耐え続けなければならない。拍手もできないほどのダメージ。拍手をしない、ではなく、身体が動かない。聴きたくない音を長時間聞かされる苦痛というのはそれほどまでの精神的ダメージを受けるということ。
自衛で心が閉ざすってまさにこういう事なんだなって。この時初めて知った。
これは大げさでもなんでもなく事実。この思いは同じ経験をした人でないとわからない。
音、音楽ってほんとに人間にとってセンシティブなものだと思う。
彼は例の動画の中で「その曲の気分ではない」と言ったけど、言葉を濁したのだと思っている。本当は「聞きたくない音」があることを知っている。
さかのぼって
自分は学生時代、吹奏楽や自治体のJr.オケに所属していたことがあった。
学校の吹奏楽で一緒だった同じ楽器の同級生の音が嫌いだった。どうしてそんなに汚い音を出すのだろうとひそかにもやっていた。
その人はピアノも弾ける。音楽に関しては知識もテクニックも持ち合わせていたのに、ただ一つ「美しい音」で音楽を奏でることに関心がなかった。
隣でその音を出されること、避けがたいその状況が苦痛だった。当時、それを打ち明けようか長い間悩みに悩んだ。結局伝えなかった。
今でも付き合いのある友人。そこで伝えていたら終わっていたであろう。結果的には、思いとどまり口にせずによかったと思っている。
しかし今でもその時の思いは忘れられない。心に深く刻み込まれている。
音楽に特に造詣が深くない、感度もさほど高くない自分ですら、「音」に関していろいろ感じ、思うところがある。ゆえに世の中にはもっとシビアな人たちがいるのは理解できる。
ストピに戻って
ストピがもたらす恩恵や効果は小さくない。
人生に絶望した人を救う、落ち込んでいる人を浮上させるきっかけを作る。音楽にはそんな力も秘めている。
種々様々な人が行きかう中でのストピの存在は複雑
設置場所、ルール、マナー、演奏者の気遣い、寛容な社会
文化として根付かせるには一つ一つの成功要因を積み重ねていくしかない
今はそれを模索、試行している最中、過渡期、発展途上
ストピの可能性を信じる一人として、今後も事の成り行きを見守っていきたいと思う
昨日は何時間も彼の音楽を聴いていた。
5,6年前の動画。まだ彼を知る前の、顔を出さずに手元だけで弾いている
JOMANDA、FLOWER、雪女、χ談、Gloria、、
ほんとに美しい音楽
彼の音楽の本質、魂が深く入り込んでいる
そしてその当時に書かれた動画コメントが心に響く
ストピで一躍有名になる前から、そして原曲を知っている上で彼の良さ、世界観を見抜いていた人たちの言葉
彼にとってコメント欄は自身のアイデンティティを感じる神聖で大事な場所だったんだろう
いろんな思いが駆け巡る