ブログ投稿丸1年を迎えました。

いやー、ビックリですよ。

まさか1年続くとは、、、

 

初稿を見ると、いきなり冒頭こんな断りが、、

飽きっぽいし大体において適当なのでネタが続くようにも思えず、最初で最後になる可能性も5割、いや7割くらいはある。それはさすがにヘタレすぎだろうと思うので意地で少なくとも2回は投稿しよう(言い聞かせ)。

最初立てた目標が「2回投稿!」((

自己評価低っ

 

それがなんとなんと1年、86投稿?!

スゴイじゃん自分

 

 

時折ブログへのモチベについては述べてきたけど、ほんと続くとは思ってなかったなー、正直なところ

彼に対するスタンスは4年前にファンになってから1㎜も変わっていない

いや、増長しているか

思考するネタを数多く提供してくれることも(イヤミカw)一因かもな

書こうが書かまいがどうせ思考するのであれば記す方が”何か”あるかもしれない(ナニカッテ?)

時間かけて書いた記事もあったように思う。が、書き捨て御免な状態。見返さないのでそこまで労力かける必要があったかは疑問。ま、しょせん自己満ですよ

 

もちろんここまで続くことは予想外だったので、プロフィールすら書かずにスタートし今に至る

ブログ界での常識?「いつも読んで下さりありがとうございます」も書いたことがない。売り手と買い手のような上下関係は書き手と読み手の間にはないと思っているから

書きたいから書く。読みたいから読む。ただそれだけ。「読んでいただいている」「読んでやっている」ってな関係はないはず。逆にそれを言うことでそういう上下関係を自ら作っているとも言える。目的がよく見えんが

 

 

ついでにもう一つの違和感を吐いとくか

SNSなりブログアカウントを「自分の庭」と評することについて

配信プラットフォーム上で間借りしてそれこそ「使用させていただいている」ことを鑑みれば、そんなワードは出てこない。

 

言って見れば「借家」であり小さな庭は公道やお隣さんから丸見えの状態

そこでもくもくとバーベキューをし「自分の庭」で問題なしと主張するのはさすがにどうかと思う。ほんとの「自分の庭」はネットでつながっていない、もしくは特定した人しか見れない場所にあるもの。

「公道」をたまたま通った人、わかる人が見たらわかるマイナスな情報をネット上に垂れ流すことは避けるべき。「自分の庭」は冤罪府にはならないし、その前置きには何の意味もない

他人や社会をどう考えているか。人間性の問題

この言葉を見る度にそんなことを思っております

 


どちらにおいても法律、ルールの問題ではないので、

ま、これも一つの見方、見解と捉えてください。なんなら御託でも結構っす

 

 

 

相変わらず脱線しまくりでスイマセン

 

さて、1年という区切りを迎えて何か変わるのかですが、

何も考えてません!笑

今のところ、これまで同様に続けていきます、のつもりですが、急に気が変わってブログをたたむという選択をするかもしれない。

なんせ初稿の冒頭のアレですから、自身でも自分がわからんのですわ。

 

分かっていることは、これからも彼に対するスタンスは変わらないし、彼への追究、思考は止まらないだろう。それを公に出すかどうかってところが不確実。

 

 

 

ひとまず自分、1年お疲れー

勝手に自分の思考を書きなぐっているだけのブログですが、同志の皆さまに少しでもポジティブな何かを与えられてたのであればこれ以上幸いなことはございません。

ブログの行く末はともかく、「同志」の絆は変わらないと思っておりますので、これからも同じ道、苦楽?を共にしていきましょう!