今日は”一言”だけ

 

先週土曜のコンサートの余韻抜けきれず

最新の動画を見ては、沖縄での夕暮れの連弾はエモいよなー、と、その映像と”小さな恋”が頭の中で再生されつつも、気分はコンサートのフワフワ感漂うという。まさに頭の中のお花畑継続中

そして突如、パイレーツオブカリビアン。全身に浴びた衝撃波があざやかに蘇る

いろいろ強烈なフラッシュバックにやられていますw

 

 

そんな中でのコレ

 

  • 本格的な作曲
  • クラッシックアプローチ
  • 曲としての完成度が高い
 
まーーじーーですかーー喜
一ワード一ワードがズドンズドンと刺さるんですけど
 
本格的、、、おぉぉぉカッケー
 
クラッシックアプローチ、クラッシックアプローチ、クラッ、、、、”アプローチ”って何この洗練された響きカッケーーーー
 
完成度、、、これ以上ない称賛カッケーーーーーーーーー
 
 
最初は単純に歓喜(”お花畑中”なんで)。しかしよく考えると、プロの、オケの編曲者からのこの言葉って。自分のような一ド素人たちが適当にいい悪いなど御託を並べているのとはわけが違うからね。
重いわ
良きも悪きも「評価する」という事のリスク
 
前記事で取り上げた車田さん動画の中でこんなことが言われていた。
よく言われることだが、審査員は審査する方でありながら、審査されている。審査することによって、その人の音楽性や音楽に対する姿勢を露呈してしまうのだ。
そう、専門家のアウトプットは自身の見識をかけて行うもの。間違えれば威信を損なう、そういったリスクをはらんだもの。
だからこそその発言は重い
 
ちなみに、車田さん、クラッシック界は”評論家”が多いけど、それは単なる”好き嫌い”を述べているだけに過ぎない。評する場合は楽譜に沿ってどうこう論議すべきと言われている。クラッシックでは評論に関しても”基準”が明確になっているの、さすがです。
まぁクラッシックに限らず演奏において自分のような一シロウトが述べている「評」は「好き嫌い」を言っているだけであって、反応するに値しないってこと。共感できない意見は心の中でごみ箱ポイでおk
 
 
 
今回の共演
「必然」だったのだと思う
単にWin-Winを狙ったもの、「人気」Youtuberにあやかったもの、ではない
「彼」とこの企画をやりたかったのだろう
 
「誰か」が「彼」に目をつけ、オケにつないだ
作曲家としての「彼」に
 
事の経緯を知りたい
曲名とともに動画で明らかになるのか
待つ。いつまでも
どんなに時間がかかっても動画出してほしい。
この舞台裏を、ドキュメンタリーを知りたい
 
 
 
よし!
 
新たな楽しみが生まれたところで、
”お花畑”に飛び込んできた五臓六腑に染み渡る”重い”言葉を噛み締めつつ、衝動的に書き記した”一言”を終わります