恒例の土曜日はプレミア公開をスタンバってたけど、予想に反し普通にup
ロンリーガール。超会議で歌ってみたくなったのだろうか。
そういえばこの曲、ピアノ演奏は時々聞いていたけど歌は超会議で初めて聞いた。
彼の声は癖がなくて聞きやすい。リピするのにうってつけ。
コメにもそういった声が上がっている。
撮影も編集も日々忙しいとは思うが、好きな事やりたいことを優先する、それもすべて自作自演しているからこそできること。そしてそれが活動の原動力になっているのだろう。
今回も素敵なコンテンツを世に出してくれたことに感謝。
日曜は蓮田。コンサート事前の打ち合わせかな。
撮影時は事前告知は基本なし、するときはギリギリ。今回もなかなかのタイミングでの告知。駆けつけられた人はラッキー
公式さんのツイによると市長も立ち会ったとか
市議の方も熱くツイートしているし、あ、市長も市議も女性の方ですね。なるほどw
注目の高さ、三顧の礼を尽くされている感じがするね
公演が決まるまでも色々な苦労があったって告知の時にもあったから、そこからも強い熱望が感じられる
本人もツイからご満悦な様子。最近ストピは変装での極秘撮影だったから、近距離で囲まれて熱視線をあびながらの演奏っていうのは久々だったんだろうね。
本番も楽しみですな
ここからは雑多に
ツイッターの認証バッジ
いわゆる「買える」ようになって増えた
認証バッチは2種類の取得方法がある
「従来の認証基準(著名で信頼に値するアクティブなアカウントであること)に基づく認証を過去に受けていたこと」と
「新しいTwitter Blueのアクティブなサブスクリプションを保有しており、Twitterの資格基準を満たしていること」
後者が新たに追加。いわゆる「買える」ほう。よっぽど怪しげなことをしていない限り普通に誰でも手に入れることができる。
前者の「買えない方」の認証については、ツイッター社が勝手に認定して付けるものとユーザからの「申請」を受けて認証を認めるケースとがあるらしい、いや、あったらしい。今回の「買える」パスを設けたことで「申請」制度はやめるとのこと。
つまり今後はツイッター社が勝手に認定するか、お金払うかのどちらか。
ちなみに、アカウントのトップページの表示名の末尾についている「認証バッジ」アイコンをクリックすると、「ツイッター社により認証された」のか「買った」のかがわかる。
Twitterの青色の認証済みバッジ は、著名人のアカウントなど、世間の興味関心を集めるアカウントが本物であることを示します。青いバッジが付与されるには、アカウントが信頼に値するものであり、なおかつ著名でアクティブである必要があります。
「ツイッター社が認証」する基準としては、認証のカテゴリー、信頼性、著名性、運用の実態などがあるらしい。
例えば、著名性の条件としては、
・ニュース報道(認証済みの報道機関によるもの)
・Googleトレンド
・Wikipedia
・フォロワーまたは@ツイート数が該当地域で0.05%に入る
等があるらしい。それだけではなく諸々の内部指標を用いて評価するとのこと。
確かに今まで見えている範囲では「え?この人認証ついてるの??」みたいなのはなかった。知らない人でもフォロワー数が数十万人いたり、世の中で「認知」されているアカウント。
フォロワーが数十万人いても「認証」されない人もいるらしい。有名人が今回の申請もダメだったとつぶやいているのを見たことがある。なかなかの狭き門。
そういった無形資産、実績により築かれた世の中の「信頼」を「金」で買えるようになった。マスク氏の商売根性により
仕組みを変えたことにより意味合いが変わった。
従来の認証バッジは従来通りに捉え、「金」で買った方はそのアカウントがどういう意味合い、意図のものかを判断しないといけなくなった。
おそらく商業的な意味合いがほとんどなのだろうが、それ以外にも諸々の理由があるのだろう。紛らわしいと思っていたが、もしかしたらその意図を推察するのも人間観察、SNS観察としては面白いのかもしれない。
成人の集い
横須賀市といえば「彼」じゃないんかいっw
蜜月な関係だと思ってたんだけどね。別な人だったね。
SNSでちらっと見たところ、別な自治体に行っていた模様
横須賀市のほうの動画。盛り上がりがあったのかなかったのかイマイチよくわからなかった。動画の作り方という可能性もあるけど、予想するに、”イマイチ”だったんじゃないかなぁ。
学園祭の時にも思ったけど、サプライズ、ドッキリというのは「有名人」であることが前提で成り立つ企画。「有名人」というのはもちろん対象者にとってメジャー、誰もが知っているということ
ストピ、ネットピアニスト。20歳にとってどうか
ハラミちゃんは当確として彼までくらいじゃないかな、「有名人」と言っていいのは
「サプライズ」にはならなかったとしても、超絶技巧で盛り上げてくれたんであろうからよかったんだろうね。
と、この界隈のリスナーはついそう思ってしまう。コメ欄も同様のコメントであふれかえっていたけど実際はわからん。会場が盛り上がっているシーン、例え一人でも、があったらよかったよね。そうしたらコメ欄の「喜んでもらえてよかったね」が成立する。
などと、外野からいらぬ感想を抱く(そして、オニ先生の構想力を称える)
高評価
楽しむというより、界隈の状況リサーチのために同業者のコンテンツを見る。
ふと気になったのは「高評価(いいね)数」
100万再生近いのにいいねの数が2千ほど。つまり再生数に対し0.2%。少なくない?
今はそんなに簡単に100万再生いかないからね。そんな”大人気”コンテンツなのにいわゆる「評価」が高くない。ピアノコンテンツはまぁ一般的には優良コンテンツだと思うので、見てもらえたらいいねはつきやすいと思うんだけどね。
「高評価」コンテンツは本人のモチベと検索時におすすめに上がりやすい、つまり再生回数を上げやすいというメリットがあるらしい。
動画最後の「高評価、よろしくお願いします!」の効果もあるのかもしれないが、彼の動画はいいね数が多い。20,30万再生でも1万いいねがついていたりする。50万再生を超える動画はほぼ確実に1万以上のいいねが付く。
でも他の人のコンテンツはそんなことはない。
”いいね”をつけるのは盲目なファンか真にいいと思ったコンテンツ、どちらかだよね、一般的に。
100万近いのにいいね数が少ないコンテンツ。サムネやお勧めに出てきて見てみたけどよくなかったってことなのか。
今後、コメント欄の状況と伴にこの「高評価」についても着目して見ていこうかなと思ったここ最近。
サピエンス全史
流れてきた山口周さんのツイ
やたら悲観的なことばかり言って耳目を集めようとする
— 山口周 (@shu_yamaguchi) December 26, 2022
「悲観的ロマンチスト」に振り回されない「楽観的リアリスト」として生きるためにはファクトフルネスであることが大事、というお話をさせていただきました!#動く年に #日経電子版 #今なら無料 #prhttps://t.co/NQQSOzCzay pic.twitter.com/hHxY25dtCs
何年か前に彼の著書「武器になる哲学」を読んで感化。この人の感性には一目置いている
ツイの中にある「ファクトフルネス」。懐かしい、もう一度読み返してみようと思いKindleでライブラリを漁っていたら、「サピエンス全史」が目に留まり、ついこちらに手を付けてしまった。こちらも何年か前にベストセラーになった書籍。再読
大作。これについても語りだすと長くなるのでざっくり省略。
地球、人の歴史を超マクロな視点で見た本。
45億年前に地球が出来て、
38億年前に生物が生まれて、
250万年前にヒト属が発生、
20万年前にホモサピエンスが発生、
7万年前にホモサピエンスがアフリカ大陸から拡がり認知革命がおこる、
1.2万年前に農業革命、
500年前に科学革命、
200年前に産業革命。
こんな時間軸。地球の歴史に対し現存するヒトの祖先は”たった”20万年前に発生、そこから20万年近くも狩猟民族をやって、定住するようになったのはたった1.2万年前。
産業革命に至ってはほんのつい最近。
科学技術の進歩、社会、文化の発展。加速度的な進化を人の歴史はたどっている。
にもかかわらず、ヒトとしての知能や骨格は20万年前のものとまったくかわらないとのこと
今もそのままの遺伝子が継承されている
生物的な進化というのはすんごい時間かかるんだね
ヒトとして今も太古の昔と基本的な構造、性能が同じって不思議すぎる
「幸せ」の感じ方についても生化学的には遺伝子によるものらしい。
外部要因で一時的に上がったり下がったろしても「同じ値」に落ち着くようセットされているとのこと。数百年前の祖先から引き継いだ遺伝子。幸福感高め、低めは生まれもった特性ということ
山口さんのツイにある「楽観的リアリスト」
自身のこと、「楽観的リアリスト」と言われればしっくりくるところがある。
この「楽観的」、自身の境遇や環境、社会に対して不安を持ちにくいというのも、遺伝子なんじゃないかな。
ファクトフルネス。同じ情報、同じデータを見ても解釈が違うというのはそこに「意志」があるから。潜在的な
それが楽観的、悲観的という個性に依存する。
たまたま自分の祖先がそのような傾向の遺伝子を持っていたというだけ。ラッキーじゃん、自分。自分の遺伝子は「いやだ」と思っても今の科学では簡単には操作できないからね。
今まで、物事「悲観的」に見る人に対しては、考え方、捉え方次第じゃないのって思っていたけど、そんな簡単な話ではないな。
努力である程度は補正できるかもしれないけど、遺伝子という根っこのところは変えられない。
サピエンス全史、上下あって大作でなかなか興味深い記述が多い良書なんだけど、最後の最後のことろでここ最近の疑問への解があった。
ヒトの特性というのは途方もない大昔にセットされた遺伝子を引き継いだもの。
抗うのがいかに無駄かというのを今、思い知る。
究極の客観視。まさにスペクタクル