昨日はリアタイできた。
タイトル見て、すぐに思ったのは
”Youtuber”してきたか、だったけど、
次に思ったのは、もしや”休止”か?と。
結果としては最初に思ったのがビンゴ。
よみぃさんの場合いろんな可能性があるから、動画見るまでは非常にスリリングでございます。
いろんな意味でエンターテイナー。
コメント欄、長文であふれてた。真面目な。
こういう類のは長文であれど隅々まで目を通すんじゃないかな、彼。
ここ最近のコメント牽制もあって、書き込みやすさ、拾いやすさが見て取れる。
これは「特定の人」に向けて送ったメッセージ、その特定の人達がどう受け止めたかを知りたいだろうね。
中学時代のいじめにつながるコミュニケーションの不得手
正しい間違ってるの基準が「先生」である小学生。
これが表の世界だとすると、単に気に入らない嫌いといった理不尽、秩序無き世界が裏の世界。
これが顕著化するのが中学生あたりから。
それは大人になっても続く。
表の世界では社会性が重視され、外れる人は排除される。
多くの人が気持ちよく過ごせる世界を守るため。
「何もしてなくとも」様々な理由で裏の世界に巻き込まれることがある。
それは一般人であっても有名人であっても、どこの社会においても同じ。
そういった危険を回避する術を持たないと、社会では生きにくい。場合によって大きなダメージを追う。
一般的には、学校生活や団体スポーツなどでの集団行動でコミュニケーションの作法を学び、矯正され、使い分けができるようになる。
それができない、そうだな例えば、褒められて育った自信満々の小学4年生、この辺が怖いもの知らずのピークだと思うけど、そのまんま、中学生としてその集団に入ったら100%いじめにあう。
仲間に入りたければ、忖度も必要だし、自分の意見を言わないことも時には必要。
こういったコミュニケーションスキルが足らず機微の判断を間違うと「敵」とみなされ一気に裏の世界(いじめ)に引きずり込まれる。人に感情がある限り、認識の仕方発火の仕方が皆違う限り、裏世界を無くすことは困難。
コミュニケーションがうまくできない
多くの人が思う「こう発信したらいいのに」ができないのもその一事例だと思う。
社会で生きていくためのコミュニケーション力がちょっと外れ値。
人はそういった外れ値を「異常」「劣等」と見なし苛立ち嫌ったりするけど。
わざと「できない振りをする」「人を逆なでする」、ではない。
うまくできないというだけ。
ピアノの先生が何度教えてもできなくて怒った、というのと同じ。
彼の場合、たまたまそれが「コミュニケーション」というだけのこと。
「できないこと」は悪いことですか?非難されることですか?
人は誰でも「できないこと」はある。
「できない」ということに気が付いてあげれたら対応の仕方が変わってくるのではないだろうか。
コミュニケーション不得手の理由も動画で説明されている。
この動画が彼を理解する一助になればと思う。
一方、多くの時間と労力を要する人間関係の構築、社会への適用を犠牲にしてまでも、没頭し磨き続けたもの。それが結果として武器となっている。
ここで得られた感性、技術は人の役に立っている。
つらい状況にあっても”続けたこと”、それは間違いなく彼固有、ネイチャーなモノ。彼自身は没頭する理由がわかっていなかったかもしれないけど。
”続ける”って誰でもはできないのよ。
没頭対象に対し他の人には見えない奥深い価値を見出し追求し続ける。そういった職人的素質。
人はそれを”才能”と呼ぶのよ。
今回の動画は、”才能”ある人へのメッセージ。エールなんだろう。
ま、大小あれど一般的に共感できる内容ではあるので、誰もがポジティブになれたらそれはそれでOKと思う。二次的には。
一度投稿したのですが、長い...長い...長すぎる!!!
と思いましたので一旦区切らせていただきます。
この続きは、次の記事にて投稿いたします。