なるほどねー。タイトル適当につけてると何を書いたかわからなくなるのね。
あ、ブログたくさん書いた場合?書いたらのことです。
昨日よみぃさんの雰囲気の話をしたところから、演奏姿が浮かび、そう、独特なあの姿が好きなんだよなって。多少体が揺れるときもあるけど「静」だよね。揺れても静かと感じるのはきっと表情だよな。最初から最後までほぼ同じ。いわゆる無表情。表情、動作では何一つ訴えてこない。これらは演奏とどう関係あるのだろう。
実はピアニストのオーバー表情や動作が好きではない。そっちが気になって演奏が入ってこない。ってずっと思ってた。
せっかくなのでこれを機にググってみる。
そこで見つけたのが、これ。
”チャールズ・ローゼン(アメリカのピアニスト、1927-2012)の書いた本『ピアノ・ノート』では、“The gestures of the pianist are inevitably a visual translation of the musical sense.”(ピアニストのジェスチャーは、音楽的な意味を視覚的に表したものにならざるをえない)とある”
もう一つ引っかかったのがきよりんさんのツイ。
ピアノは顔で弾く
— 清塚信也 (@ShinyaKiyozuka) April 26, 2022
って言いましたけどね、
もっと解説しますと、
「指で弾いてるにも関わらず、一見関係なさそうな"顔"にまで強い表現が出るほど、『心の底から表現したい』と思わなきゃ、どうやって相手の心をえぐることが出来るの?」
ということです。#ピアノは顔で弾く
きよりん
2つを並べると、
- 音楽的な意味を視覚的に表したもの
- 『心の底から表現したい』と思う気持ち
がっしゃんこしていいのかわからないが、してみると、
『心の底から表現したい』音楽的な意味が視覚化されたもの
かな。そうかー、やはりあれは「音」以外の表現方法だったのね。
演奏だけではなく体、表情すべてを使って伝えようとしていたのね。
きよりんさんの言葉をよく読むと、強い表情が出るほど思わなければ相手の心をえぐれない、つまり、伝わらない、つかめない、揺さぶれない、ってことよね。
うーんうーんうーん...
強い表情が出ればでるほどドン引きしている自分ってどゆこと?
伝える力が強いのだとしたら、受け取る力が弱いってことか?
そうなのかもな。「音楽的な意味」なるものが何かを知らないと通じないもんな。
知らない外国語を丁寧に話されている感じ?要するにプロトコルエラーだな。
話を戻して。よみぃさんの対極の表現、きよりんさんに言わせると「強い表情が出るほど思わなければ相手の心をえぐれない」はずなのに、なぜ伝わるのか。
伝える力は果たして弱いのか?はたまたリスナーの受け取る力が強いのか?
いやいやそりゃない。少なくともリスナーの自分は。
伝える力、強いと思うんだよね。受け取る力が弱くてもガンガン鷲掴んでくるのよ。
目的が違う
のかも。
クラッシック音楽が「感動させること」、非日常を味わせることを目的にしているのに対し(知らんけど)、よみぃさんの音楽は「気持ちよくさせること」、日常の中の癒しや娯楽を目的にしている、ってことはないかな。
目的により扱う音楽の特性も違うし、目的を果たすためのアプローチも違う。
彼の音楽は心をえぐらなくていいんだよ。気持ちよさを感じさせれば。
クラッシックも気持ちいいけど眠くなる気持ちよさ(交感神経が不活性で副交感神経が活性化)、それに対しよみぃさんの気持ちよさは覚醒したままで感じる気持ちよさ(交感神経が活性したままで副交感神経も活性化)。自分の場合ね。
彼のアプローチは、脳のメカニズムや人の感性に関する知識そして音楽理論に基づいた和音、アレンジ、音作り。思いより理論。芸術的より科学的。彼の目的達成にはオーバーな表情や動作は不要なのよ。
そして受け取る力のレンジも広くてOKなんだと思う。より原理原則的な手法だから普遍的、受け取る側の能力を問わないという。
なんかすっきりした。
書き始めはどういう流れ、結論になるのか全く分からずなのに、分析しながら書き進めていくとそれなりに自分の結果が得られる。書くってすごいな。