昭和五十年代半ばの福島一中器楽部(オーケストラ)顧問、同音楽教諭、旧福島市民吹奏楽団指揮者、旧FCBハンドベルクワイヤー、元ハンドベル協会役員、等等新、自分が世話になったKH先生が87歳で亡くなった。

自分より年配の人だと元岳陽中教諭や合唱の元FMCメンバー。自分より若い人だと元信陵中教諭、ハンドベル指導者というイメージか。平成7年のふくしま国体の開会式で、先に亡くなった元福島東高教諭のO先生と交代で、入場行進のマーチを指揮した姿も印象的。

または昭和末期、平成前半に福島刑務所の中にいた人なら、毎年慰問に来て演歌や美空ひばりメドレーをした人という印象も。

中学校教諭としては教頭、校長にならず一線で音楽を教えた人。生徒を教えるというキャラクターが強い人だった。自分自身は、平成7年の自身の結婚式の余興でトロンボーンを吹いた時、緊張と酒のせいでぼろぼろになったのを、先生が見かねて指揮をしたのが印象に残っている。いつまでも先生は先生、教え子は教え子なんだなあ。

当時の教え子の中には今でも慕う人もいるし、いい大人になった教え子にとっては、親に対する態度と同じように反抗することもあるだろう。両方の人たちを自分は知っている。KH先生も晩年それを知っていたはずだ。

自分が社会人になっても、先生の自宅と自分の職場が近いため時々会うことがあった。

地元町内会の会報をつくるといって、新聞の漢字や表現について聞かれたので、新聞でよく使われる通信社の用字用語集を紹介したのが最後でしたか。

お別れです。先生はクリスチャン(プロテスタント)で自分は仏教に近い人間ですが、またあの世で会えるといいですね。