残念なことに、ブルックナーがメーンの先日の市オケ定期、行きませんでした。あれこれ用事があって(そういえば、作家の夏目漱石の妻が、漱石に「なんやかんや」だったか「あれやこれや」だったか、とにかく多忙で手紙が出せなかったということを詫びたら、漱石が、何が忙しかったのか問い詰めたというエピソードを思い出した)。まあ関係者の皆さん、追及しないでね。
 こんなとき、アマチュアの演奏会の批評、というか感想を地方紙の福島民報社に寄稿してくれた故O(オー)さんを思い出す。昨年病気で他界されたのだが、あの文章から演奏会の様子が伝わってきた。
 Oさんと初めて会ったのは昭和55年、高校1年のときだった。Oさんはその年に開校した福島市の福島東高の音楽教諭として着任した。確か合唱の方が専門だったはずだが、吹奏楽部を設立して頑張っていたなあ。たまに福島東高に行っあいさつしていた。当時の吹奏楽部員はある程度知っていたし、あとから「Oさんにしごかれました!」なんて奏者に会うこともちょくちょくあったっけ。
 次に会ったのは、昭和60年代、吹奏楽コンクールの東北大会。(続く)