最初に聴いた曲のイメージは、なかなか払拭できない。注意しないと指揮を無視してそのイメージで吹いてしまうことがある。
 自分の例は「チャイコの5番」。高校1年のときに初めて吹いたが、以前から指揮者、オーケストラともに不明の「怪演」をカセットテープで聴いていたせいで困った困った。その演奏は、全体としてチェリビダッケ指揮のロンドン響(当時来日公演で絶賛された)や、後年のミュンヘンフィルのような遅めのテンポなのだが、1、2、4楽章で、スコアに書いていない急激なテンポ設定があり、それを聴きなれていた自分の頭の中にそのテンポが「居座って」いて、とんでもないことになるのだった。
 実際、入部後最初の合奏でそれは起こった。4楽章の真ん中あたりでテンポを上げて吹いたら、指揮者(あえて高麗さん、と名を記す。福島県の合唱関係でえらい人。うちの高校に管弦楽部をつくってくれた恩人)が棒を止めた。同時にコンマス(あえて近藤さん、と名前を記す。高校オケだけじゃなくて某テレビ局のジュニアオーケストラでもコンマスを張っていて、その後早稲田に入った)から思いっきりにらまれた。ホルンとラッパの先輩(あえて湯田さん、猪野さんと名前を記す。2人と現在社会人)は笑っているし…。
 笑い話ではない。「チャイコの5番」だけでなく「ドボ8」「ブラ1」など、数々の曲で、頭の中のイメージと、指揮者が伝えたいイメージの差に戸惑い、薄氷を踏むような経験をした。特に「ブラ1」では、故山田一雄氏の指揮で…。感動モノだったけれど、寿命が縮んだ。
 結果、「曲のイメージをつかむため」模範演奏として他の演奏を聴くことに自分はあんまり賛成しない。
 それって、自分の聴いてきた音楽が「キワモノ」ばかりだったということ?
 それはともかく、何かのお手本から入るんじゃなく「一から音楽をつくっていく」というか、まず一人一人が練習してから、合奏で合わせていく、という演奏が好きだなあ。
 そうでなければ最初からさまざまな演奏をいっぱい聴いて、自分の中で消化していくこと。
 自分は小学生の時。たまたまそんな幸運に恵まれた時代があった。場所は新潟県十日町市の十日町小学校。舞台は、前にも記した「リード合奏」で全国大会に出場していた同小学校器楽部。主人公は、当時の顧問だった尾身先生。曲はムソルグスキー作曲(R・コルサコフ、大場善一編曲)「はげ山の一夜」。(この項続く)