亡き母と関東大震災 | =歌えば元気=

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別ブログ…けいの中島公園・市電らぶ

#反戦反核 #平和

母は、東京・日本橋浜町で生まれました。花火

大正2年10月生まれ👶

関東大震災が大正12年9月1日ですから、

母は10歳になるホンのちょっと前だったことになります。

 

母からは耳にタコができるほと、聞かされました。

アノ日

親とはぐれてしまった事。

知らないオジサンにずっとくっついて歩いた事。

知らないオジサンは

「〇〇ちゃんの おかあさんいませんかぁ!

〇〇ちゃんのおとうさんいませんかぁ!

〇〇ちゃんを知ってるひといませんかぁ!」と叫びながら、

母の手を引いて歩き回ってくれたそうです。

 

10日間ほどオジサンに食べさせてもらいながら

野宿して、歩き回って、

やっと、上野の山で親と出会えたのだそうです。

オジサンがくれたアンパンの美味しさは忘れないとよく云ってました。

 

母の兄は亡くなり、

母の母親はその時の無理がたたって翌年亡くなったのだそうです。

 

私の母は

大正12年に日本橋浜町で関東大震災に遭い

昭和20年に同じ場所、浜町で、東京大空襲に遭いました。

 

母は弟夫婦が最後まで面倒をみてくれましたが、

年を取るごとにワガママになり、

お芝居のチケットをいただいても、いい席でないと文句たらたら。

下駄と草履を片方ずつ穿いて買い物に行き、

出先で気づいた途端、

恥ずかしくて歩けなくなり

「お願い!迎えにきて~」と電話。(笑)

往来でご近所さんとお喋りして大笑いした途端

入れ歯がポーンとすっ飛んで…びっくり

晩年はサザエさんみたいな暮らしができてホッとしています。(笑)

エキストラクラブに入って

映画の撮影で、

今日は時代劇だったからカツラをつけた…とか

それなりに楽しんでいたようです。

私とは犬猿の仲でしたが、

別に恨んではいません。

ただ

年取ってきたら、

時々嫌いだった母に似ている自分をみつけて

ちょっとウンザリ爆  笑

歌好きも母に似たに違いありません。ニヤリ