私の常識が世間の、日本人の大部分の常識と違っていることなど、よくある。
だが、誰一人同じ常識を持つ仲間がいなかったことは、あまりない。私の常識が、西日本のであったり、北陸のであったり、雪の積もる地方のであったり、地方全般のであったりしたからだ。
ところが、一つだけ同じ常識を持っている仲間がいなかったものがある。それは、
「授業参観は平日」
授業参観というのは、どうやら休日(現在は土日)に行われるところがほとんどらしく、そのため、休日が平日に振り替えられることがあって、それはそれで小学生の密かな楽しみだったりしているらしい。
ところが、私の通っていた小学校は温泉地。観光地。つまり、休日は稼ぎ時。そんなところで土日に授業参観を行えば、観光産業に従事している人たち、つまり大部分の親たちは来ることができない。
なので、石川県加賀市の山代小学校の授業参観日は平日だった。
それは逆に、私の父のような「月給取り」(公務員やサラリーマンはこう呼ばれていた)は来れないことになる。事実、私は一度も父に授業参観に来てもらったことはない。
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何の催しだったろう。毎年6月4日と5日に行われる山代温泉の例祭・菖蒲湯祭りではなかったように記憶しているのだが・・・
総湯を囲む広場である曲輪(がわ)にステージが設えられ、わたしたち山代中学校吹奏楽部がそこでちょっとした演奏会を行った。バトントワリング部(今はあるのかなあ。部員は全員女子)も加わり、その伴奏が一曲。ボサノバ調の曲だった。他に何を演奏しただろうか。「鹿児島おはら節」だったろうか。「横須賀ストーリー」(作曲:宇崎竜童/歌:山口百恵)はやった思う。
聴衆はもちろん町の人たち。それほど多くはない。拍手もそれほどいただけない。けど、盛り上げるために、祭りの責任者のような大人の男の人が強引にアンコールを要求した。練習曲として伝統的に受け継がれている簡単なマーチがあったのだが、それならできるということで、急遽それを演奏した。
<山代温泉湯の曲輪:2023年1月13日撮影>
総湯(現在は古総湯)の周囲は空いていて一種の広場になっている。黄色い矢印の指す辺りに舞台が設営されていたと思う。次の古総湯の写真は緑の●印の辺りから撮ったもの。
<山代温泉「古総湯」:2025年5月8日撮影>
演奏が終わって舞台を降りると、件の男の人が指揮をしていた顧問の先生に歩み寄り、封筒を手渡した。こっそりと渡したわけではない。わたしだけでなく、部員もみんなそれを見ていたと思う。
その「封筒」はどう会計処理されたのだろう。市立の中学校だしね。
1970年代半ば。山代温泉は多くのお客さんで沸いていた。しかし、半ば公然と売春で売るようになっていた。中学校で長期に休む女子生徒がいると、噂が立った。
都会から「荒れる中学校」の波が押し寄せてきた。中学校の校舎が壊される事件が起きた。
あの有名なTBSの学園ドラマは、この数年後である。
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次回も中学校吹奏楽部の思い出を書こう。その続きは「部活の地域移行」(私は「地域化」と思い込んでいました)をちゃんと調べてから。
では、また。

