7時15分からNHK-BSで再放送中の、かつての朝の連ドラ「カーネーション」。現在、連ドラは土曜日の放送がその週の月曜から金曜のダイジェストになっているが、カーネーション本放送当時(2010年)はそうではなかった。土曜日もストーリーは進行する。

 先週の土曜日(11月30日)の放送を見て思い出した。

 私は本放送の時に、この回から観はじめた。

 昭和18年。戦争中。「婦人会」が主人公の店を訪ねてきて、出征した夫が使っていたミシンを、どうせもう使わないのだから供出(国=軍に寄付)せよと要求し、主人公がそれを突っぱねるシーン。婦人会の女性達が夫を「どうせ死ぬ」との前提で話し、かつ、それを名誉なこととせよ、と言い放つので、主人公が、今風に言えば、キレるシーン。

 当時の日本が狂気に堕していたことを示す名シーンだ。

 先にも拙ブログで書いたが、私が当時このドラマを見る気になったのは、母がこのドラマで話されている方言に着目したからだ。疑問文の最後に「け」がついて、しかも語尾を上げる。「~け?」。泉州(大阪府南部)と加賀(石川県南部)の方言に共通点があることに母が気付いたからだ。

 私も、この再放送では、この「~け?」が話される度に笑っている。とくにおばあさん役の正司照枝さんの言い方は、私の祖母をはじめ、子供の頃の加賀の年寄り達の話し方を思い出させて、おかしいやら懐かしいやら。そんな気分にしてもらえている。

 そんな動機で見始めたのに、いきなり戦争に関して鋭いシーンが出てきたものだから、真剣に見始めた。そんな自らの心情を、もう10年以上前のことだが、思い出した。

 同じ週にあった、主人公夫婦が二人で道頓堀に歌舞伎を見に行くシーン。私には何となく見覚えある場所。ロケ場所は京都の南座?

 ロケと言えば、このドラマでは近江八幡が頻出。時代劇ロケ地として有名な場所だが、昭和の戦前は、まさしく時代劇と言ってええんやろうね。

 ドラマ中の心斎橋の繁華街。戦争中でも道行く人や百貨店内では派手な服装をしている人もおり、この段階ではまだ結構普通の暮らしを人々が送っていたことを表わしている。

 この繁華街も劇場も、やがて来る空襲で焼けてしまうのだ。

 

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 昨晩(12月6日)になるが、NHKがかつての番組を再放送していたのを観た。

硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の証言〜

 

 

 池上彰さんが選ばれた番組で、ご自身が解説もされていた。第二次世界大戦については人並み以上の知識を有していると思っている私だが、その私の硫黄島の戦いに関する知識が覆された。

 硫黄島の戦いに関する私の知識の主立った部分は、次の書による。

硫黄島 栗林中将の最期 

梯 久美子 著(文春新書)

https://books.rakuten.co.jp/rb/6582165/

 

 だが、この書の取材が【甘い】ことを、池上さんは教えてくれた。

 カーネーションの婦人会も狂っていたが、戦場の兵士達の狂気は、婦人会の狂気とは異なる意味で、それを遙かに上回っていたのだ。

 なぜ12月上旬のこの時期に戦争に関する番組を放送するのか。その意味はおわかりですよね・・・

 カーネーションには、「ガダルカナル島から『転進』した」の報道に対して、「何が『転進』や。要するに負けたんや、負け」と断じる岸和田の商店主も登場する。日本人皆が狂っていたわけではないのである。

 

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 今日(12月7日)放送のカーネーションでは、主人公の父が山中温泉に向かう。その頃、私の祖母は既に山中温泉にはいなかった。山代温泉で縫い仕事をしていたのであろうか。長女は既に京都に嫁に行っていたが、二女と、旧制中学の学生であった長男(私の父)は一緒に暮らしていた。二男は数年前に4歳で他界していた。

 先日、11月下旬に山代温泉に帰省した私の土産は、山中温泉の銘菓「娘娘万頭」(にゃあにゃあまんじゅう)でした。

 

 「娘娘(にゃあにゃあ)」という方言、実に説明が難しい。なので、次のようなクイズめいた言い方で逃げるしかない。

 昭和18年頃の、私が生まれる遙か以前の家。祖母と嫁入り前の二女(父の姉)。どちらが「にゃあにゃあ」と呼ばれていたか? 

 正解は私も知りません。

 

 天気予報が「太平洋側は晴れ、日本海側は雪や雨」と言っている・・・