敦賀から加賀温泉へ向かう新幹線・各駅停車「つるぎ」。

敦賀

 大河ドラマ「光る君へ」。今まさに越前が舞台。若狭に来たという宗人が収容された「松原館」は敦賀の「気比(けひ)の松原」。

 実際に当時、宗から若狭や敦賀に来訪者があった記録があるのかどうかの知識は私にはないが、そこは日本海。船で若狭や越前、そして加賀に大陸から人が来ること自体はリアリティー満載。これが日本海生まれの感覚。

 日本海を跨ぐ小説、福井生まれの作家の小説「遠の眠りの」を紹介したこともありました。

 

 

 

 

 

越前たけふ

 紫式部が暮らした越前国府は福井県越前市。合併前の市名は武生(たけふ)。

 6月9日(日)のNHK。午後5時30分から「光る君へ 越前紀行」という番組をやっていた。

 NHK-BSで阪神タイガースの勝利を見届けた私は、その後の番組として気楽に見始めた。

 番組は、NHK名古屋局制作。なんで?

 大河ドラマ主演の吉高由里子と、その父親役の岸谷五郎が福井県越前市を訪れた紀行記で、大河ドラマの宣伝以外の何物でもない。

 だが、地元にとっては大切な宣伝機会。ロケが行われたのは2月。カニが出るやろうなあと思っていたら、やっぱり出た。

 その後、お二人は越前和紙の生産地を訪ねる。

「越前和紙の生産地も武生? ああ、今立か(『いまだて』と、市町村合併前の町名で思い出す)。武生の山の方や。新幹線『越前たけふ』駅は山寄りやから、近うなってええやないか」

 などと思いながら最後まで見て、その直後の午後6時からBSではじまる大河ドラマを観た。

 そのドラマの冒頭に

「武生の商人」

 という科白まで出てきて、

「武生、たけふ。何で越前市なんていう名前にしたんや。『たけふ』でええやないか」

 と思ったものだ。

 大河ドラマでは、カニではなく、ウニをおいしく食べるシーンが長く続いたのだけれど、なぜカニでなくウニ? カニは平安時代には食されていなかったのであろうか。

 中国語満載の大河ドラマ。現代の問題ともリンクさせて、なかなかスリリング。面白い。

 

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 6月1日。

 敦賀から長いトンネルを抜けると、次の駅「越前たけふ」に着く。

「なんでこんなとこ(所)に停まるんや。山の中やがいね」

 確かに、周囲には山しか見えない。大きな建物はまったくない。工事中の高いクレーンだけが目立つ。何を建てているのだろうか。

「結構お客さん降りたな。この駅は駐車場が広いそうやさけ、そこを使うとる人がおるんかな」

「そもそも『えちぜんたけふ』て何や? 新幹線なら『新武生』やろ? 新大阪とか新横浜みたいに」

「鯖江に気い遣うたんやろ。武生だけの駅やない、鯖江もあるんやぞ、て」

 鯖江とは武生の北にある町で、眼鏡フレームで有名である。

「ほな燕三条みたいに『鯖江武生』にしたら良かったのに」

「ここは武生市内いうことやろ」

 上越新幹線の燕三条駅は、ホンマに三条市と燕市の境にあるのです。

 武生市は合併で越前市と名を変えたのだが、再三書いているように、我々加賀の人間にとって「越前」は福井県北部全体を表わす語なので、武生は相変わらず武生なのであります。

福井

 九州から京都に来た従兄の娘さん一家4人。二人のお子さんが恐竜のTシャツを着ていたので、

「恐竜博物館へ行ったんやね」

 と問うと、

「そう!」

 と喜んで自慢気に話し始める兄弟。

 

 ○×△□ザウルス、●▼◆ザウルス・・・ ゴメンな、ティラノサウルスとかトリケラトプスくらいしか知らんのや、オジサンは・・・

 一家は前日、福井県勝山市の、館内や部屋の模様まで恐竜だらけのホテルに泊まっていた。写真を見せていただいたが、笑うしかないほどの「恐竜ホテル」だった。

 お父さん(従兄の娘さんのパートナー)が語ってくれた。

 大阪空港(伊丹)に到着し、バスで京都駅に行き、そこから特急と新幹線を乗り継いで福井に行き、さらにそこから、えちぜん鉄道で勝山に入ったという「大変な」体験。

「強風とやらで湖西線が遅れ、福井に到着した時刻には、予約していた駅前のレンタカー屋が既に閉店していたんですよ」

 福井駅から福井県立恐竜博物館までは30キロくらいある。えちぜん鉄道もローカル線だから本数も少ないし、その終点の勝山駅から博物館までも結構距離がある。だから、子供連れの旅行としてレンタカーは賢明な選択だ。それが叶わなかったのは、ホンマ大変だったろう。

 湖西線は風に弱い。その意味でも、早よ北陸新幹線を京都まで!

 福井駅手前(南側)から足羽山がよく見えた。それが、地上を走っていた北陸本線との大きな違いだ。

 さあ、次は芦原温泉・・・

 

 続く・・・もうすぐ終えますけど