「なんで来てくれんのやろ?」

 母が私の考えているのと同じことを言ったので

「やはり」

 と思ったものだ。

 

 能登大地震の被災者が被災地を離れ、被害の少ない地域へ移動する二次避難。なかなか進んでいない。

「2,850人と全体の18%に過ぎない」(1月22日NHKニュースによる)。

 石川県加賀市も、その保有するたくさんの宿泊施設(温泉旅館・ホテル)を活用して二次避難者受け入れを行っているが、これまでに受け入れた人数は

「1,400人程度」(1月24日付北陸中日新聞による)。

 私が言う筋合いではないが、イラつく数字だ。なぜもっと来てくれないの?

 それが冒頭の母のセリフである。

「ビニールハウスとか納屋とか、あんな所(とこ)に年寄りがずっとおったら死んでしまうがいね。あんな所でストーブ炊いとったら危ないし。ストーブ炊いとかな(寒くて)寝れんのはわかるけど。実際に死んだ人もおるらしいがいね。そんな所におるくらいなら(二次避難者を受け入れている加賀市の山代温泉や片山津温泉に)来てくれりゃええのに」

 

<山代温泉中心街:2022年10月撮影>

 

 とはいえ、報道で聞く能登の被災者の方々の、とくに高齢の方々の声を聴く(読む)と、そのご心情はわからぬでもない。

「(故郷を)離れるのが心配や」

「(地元にいれば)気心の知れた人といられるから」

「私だけが行ってええんやろか」

「他の人に悪い」

 他にも、病気などで長距離の移動に耐えられない人もいる。

 

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 もう40年以上前。東京に出て学生生活を始めたばかりの私の下宿(東京都杉並区)に母が訪ねてきた。母は部屋の掃除をし、洗濯をし、日用雑貨や食器類を整えて帰って行った。

 その洗濯。洗濯機など持っていなかったので、近所のコインランドリーを使っていた。そのコインランドリーは通っている銭湯に併設されていた。

 母と二人でコインランドリーに行き、洗濯機を回し、終わるのを待っている時。コインランドリー内に一人の高齢の女性が入ってきた。

 母と私の会話を聞いたその女性は突然、大声で叫んだ。

「あんたら、北陸の人か!」

 その女性は、自分が能登(記憶によれば今の能登町)の出身であることと、東京に出て来て銭湯をやっている経緯などをしゃべり始めた。

 東京の銭湯経営者には能登出身者が大勢いることをこの時知った(のちに、大阪もそうであることを知った)。能登の人はきつい水仕事に耐える力が高いそうだ。

 

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 正直言うと、「加賀の国の住人」(歌舞伎「勧進帳」の富樫のセリフ)から見て能登は「違う国」である。雰囲気というか、生活習慣というか、拠っている生業(なりわい)の違いからくるのであろう、微妙な違いを感じる。

 当然、逆の立場に立てば、能登の人にとっての加賀もそうであろう。

 私自身、このブログに何度か福井(越前)のことは書いているのに能登はこれまで一度も登場していないように、能登よりは越前の方にシンパシーを持っているのが正直なところだ。

「(元日の)あんな揺れ、福井地震以来や。あれで福井の人らはひどい目えに遭うてえ・・・ 昭和23年のこと憶えとる者(もん)なんか、もうおらんわ」

 母の記憶のように、加賀にとって福井は近い。

 今回の大地震により、全国に毎日「石川」と「能登」が連呼されている。金沢が日本の中心の如くだ。そのため、被害の小さい金沢をはじめとする石川の別の地域へも観光客が来ず(山代温泉にも「だあれも来とらんわ」)、経済的に大打撃を被ってもいるが、初めて、能登と加賀が一体だ、同じ地域だということが実感できている気がする。

<山代温泉中心街への通り:2022年10月撮影>

 

 この3週間、毎日涙を流していた(毎日のように、ではありません。本当に毎日でした)私だが、その涙のきっかけのほとんどは、テレビから聞こえる北陸方言であった。同じ石川でも100キロ以上離れているので、私の故郷の言葉と能登の人たちの言葉には若干の違いがある。だが、放送されるインタビュー程度の長さでは、その違いはほとんどわからない。

 もう「違う国」なんて言うとられん。

 

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「雪? 10センチ位や」

「そうか、ほな、どんねえな(大丈夫だな)」

「1回除雪車が廻ってくれて、それできれいに除雪できとるわ。どんねえ、どんねえ」

 今日の母と私の電話による会話で本日は終わりとします。能登大地震については情報がある度に書いていくつもりですが、次辺りからは通常に戻ろうかと思います。