江戸時代にタイムトリップしてきた。

 父の葬儀を済ませて東京に戻ってきた今は、まさしくそんな気分である。

 私が子供のころから何度か経験してきた葬儀からは随分簡素化されたが、母の希望により、従来の当地の慣習に則った葬儀を行った。コロナ禍による制限もあったが、それは規模を小さくするだけであって、要する時間と手間は、従来の北陸の、加賀の、江沼の、実家の属する地域の慣習に沿っていた。

 「地域」と書いたが、次の言葉の方がふさわしいし、実際に今もこの語が使用されている。

 

ムラ

 

 東京から駆け付けた弟が通夜の後で批判する。

「ムラの全員が農業によって生計を立てていた時代なら、農村共同体を維持するためにこうした慣習に従うことは意味があるし、実際、共同体構成員に利益もあったのだろう。しかし、ほぼ全員が農業以外で暮らしている今の時代に、こんな慣習は意味がない」

 そんなことは私は高校生の時から言うとるわい、と思って聞いていた。

 もっとも、弟が高校生の頃私は既に上京していて、高校生の弟にはほとんど接していない。

 その弟に、出棺時の会葬者への挨拶を委ねたのだが、声を詰まらせてしまい、たった一言しか言えなかった。

 

***** ***** *****

 

 農村共同体を維持するためのルール。古くからの慣習。間違いなく江戸時代から。もしかしたら一向一揆の時代から。

 軸は農村共同体と浄土真宗。

 おそらく、私がその葬儀を経験することは、もう二度とあるまい。なので、そのルールを記録しておくことにした。

 私の人生の間に若干変化しているが、今回親戚が集まったことで、約20年前の父の母の葬儀や約60年前の父の父の葬儀の様子を聞くことができた(20年前は私自身も記憶している)。だから、この60年余の変遷、すなわち「若干の近代化」も含めて記録しておくことができる。

 

 もともと読者など想定せずに勝手に書きなぐってだけ来た本ブログを、その記録に活用させていただきます。気が向いたらお読みください。

(もちろん、Jリーグネタや音楽ネタも続けます)

 

***** 山代温泉冬支度 *****

魯山人旧居の雪吊り

 

灯籠に菰

 

服部神社鳥居前

 

リニューアルした瑓(れん)永昌堂(老舗羊羹店)

<以上2022年12月5日撮影>