先日は、たまには書店に寄って実物の本から選ぶのも良いというようなことを書いたが、図書館もそう。書棚を眺めていて偶然、それまで全然関心のなかった本を手に取ってしまい、読む羽目に陥るということが、たまにある。
関心のあるテーマでなくとも、着目していたり気を惹かれたりする言葉がタイトルにあると、思わず書棚から出してしまう。
私の場合、「加賀」とか「金沢」という語がそれに当たるようだ。
作家の名前の五十音順に並んでいる小説コーナーを眺めていた。数冊しかない多和田葉子さんの場所を見ていると(この図書館で、既に絶版になってしまった多和田さんの本を借りたこともある)、「た」で始まる名を持つ小説家の書が目に入った。
「加賀開港始末」(谷甲州)
「はて? 幕末に金石か大野が開港候補に挙がったなんて、聞いたことがないぞ」
私が「開港」を、黒船に迫られて外国船に門戸を開いた幕末のことだと解釈したのは、当たっていた。
だが、開港の対象は金石や大野(いずれも現在の金沢市)ではなかった。
七尾。
「七尾は加賀んねえぞ。能登やがいね」
と突っ込んだが、ボケてくれる相手はいない。
借りた。
で、またまた偶然なのだが、多和田葉子さんの「変身のためのオピウム」という難解な小説を読んだ直後だったのに、この小説もオピウム(阿片)を扱っているのだった。
なんでこんなにつながるの?
この小説は、幕末の加賀藩が、アヘンや開港に対する政策について幕府すなわち大老・井伊直弼と対決するという、大きな設定を軸に展開する時代小説である。
物語の始まりは1859(安政6)年。下田や箱館(函館)は開港されてから数年経っており、神奈川(横浜)、兵庫(神戸)、長崎、新潟の開港も既に完了している。
ちなみに新潟港は、天保年間に幕府が長岡藩から取り上げて天領(幕府直轄地)にしている。この頃、ロシア船が日本海を頻繁にうろついていたので、幕府が「防衛」のために採った政策だった。それを知らずに「新潟は長岡藩の港」と発言した私が、長岡市の河井継之助記念館の案内の方に突っ込まれてしばし話し込んだのは、少し前の拙ブログに記したとおり。
阿片に関しては言うまでもなかろう。アヘン戦争(1840~1842)の情報が当時の日本の指導層すなわち武士を大いに動揺させたことはよく知られている。
加賀藩とアヘン、開港について少し調べてみたのだが、江戸時代に白山麓で芥子(ケシ)が栽培されていた記録は残っているらしい。
また、幕府が七尾の開港(と天領化)を加賀藩に打診して加賀藩がこれを拒絶したのは史実らしい。新潟について長岡藩に対して行ったことを、七尾について加賀藩に対してもやろうとしたのだ。これは貴重な知識を得た。
この小説は、この二つの大テーマを結合させて、幕府と加賀藩という大勢力の対立と、それに翻弄される若き加賀藩士の生き様を描こうとした意欲的な作品である。だが、残念ながら成功しているとは言い難い。
人物や風景や対決シーンに無駄な描写が多く、繰り返しや重複も見られる。風景が眼前に立ち上がらない。肝心の人物像、すなわち生い立ちや藩内での地位、他の人物との関係も整理されていない。頭に入ってこない。登場しないが重要な役割を果たしている主人公の父(当然、忠実な藩士)の考えすら、明確には読み取れない。
それでも読めるのは、典型的な時代小説のフレームに従っているからだ。上記で私が主人公の父を「忠実な藩士」と書いたのも、そのフレームに従っているだけのこと。
そして、ある時代小説の大家のフレームが透けて見える。
藤沢周平。
主人公が剣の達人であるところがこの大作家との共通点で、それは主人公が絶対に最後まで死なない根拠となっているのだが、その剣の流派であるとか、その流派独特の「何とか戦法」とか、師匠はかつて別の藩で争乱に巻き込まれたが生き残った人だった、みたいな、藤沢周平なら、主人公が知っている一つの事実の背景に大きな虚構をつくって説得力を持たせような「主人公は強い」ことを示す描写が、残念ながら、ない。
(虚構に真実を挟んで説得力を増す手法の原点は森鴎外、と私は考えていますけどね)
道場の仲間でもあった主人公の同僚との関係も描き切れてなくて、結局こいつは主人公の味方になるんじゃないの、と思って読んでいて実際にそうなるのだけれど、どうもしっくりこない。
その他の脇役たちも背景が整理されないまま小説世界に放り出され、かつ、退場(死や逃亡)の説明も不親切で、物語としての広がりを欠いたまま終わってしまう。
それでも、アヘンと開港という大テーマに挑んでいるため、最後まで興味を持って読ませていただいた。作品世界の構成はがっちりしているから、リライトすればもっと良くなるとも思う。
だから、気晴らしのエンターテインメントとしては悪くなかった。同時にいろいろな本を読む癖がある私としては、一つはこういうエンターテインメントを入れておかないと、気が滅入るときがあるのだよ。
何度も貸し出されたのだろう。汚れの目立つ書にお礼を言いながら、返却した。


