2021年7月3日 ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ほか

(井上道義指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 at サントリーホール)

 

 先週行ったコンサートについての記事をようやく書けるようになりました。クラシック音楽に関心のない方には退屈な長い文章になっていますが、2回にわたって記します。

 

 15曲あるショスタコーヴィチ(1906-1975)の交響曲。死ぬまでに全部ナマで聴いてみたいと思っている。

 そういう作曲家は、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナー、チャイコフスキー。このうち、全交響曲のナマ演奏をコンプリートしたのはブラームスだけ。まあ4曲しかないからどうしても一番早くなる。

 で、ショスタコーヴィチ。ナマで聞いたことのあるのは、5・6・7・9・10・12番。この日(7月3日)の8番は初めてで、コンプリートに一つ近づいた。久々の生演奏。20世紀ロシア(ソ連)が生んだ大作曲家の代表作。演奏が難しいことで知られ、当然、演奏機会も少ない。

 そして井上道義。ショスタコーヴィチを得意とし、ライフワークにしている名指揮者。彼の指揮によるショスタコーヴィチを聴くのは2012年5月3日以来だ。

 一ヶ月くらい前からわくわくしてこの日を待っていた。そしてこの土曜日、曇天の中、勇躍サントリーホールへ向かった。

 

 実はこの項を書くに当たって、その2012年の井上の演奏会がいつだったか正確に記そうと思って自分の記録(まあ日記みたいなもんです)を調べたのだが、数年前だと思っていて2015年辺りを調べても一向に出てこない。ゴールデンウィークに金沢の石川県立音楽堂で聞いたことは間違いないのでそれを頼りに調べ直したら、何と9年も前だった。

 愕然としてしまった。もう9年。信じられない。こんなに速く時が過ぎているなんて。この9年で私はどれだけのことができたのか。私は何をやってきたのか・・・

 あの頃はまだ父も自力で歩けたから一緒に金沢まで行っているし・・・

 なんて考えていたら落ち込んでしまって続きが書けなくなってしまった。

 

 というわけで、2012年の演奏について。

 まず、ゴールデンウィーク恒例の金沢の音楽祭を紹介しなければならない。

 今は「いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭」と称しているが、当時は「ラ・フォル・ジュルネ」(フランス語で「熱狂の日」)というフランス発祥の音楽祭の金沢開催という位置づけだった。

 これは、普段より短時間のコンサートを低料金で数多く提供して、聴衆が町の中を歩き回りながらコンサートをハシゴできるようにするというコンセプトの音楽祭で、金沢でも、駅前の石川県立音楽堂は大ホールや小ホールやロビーや地下の練習場などがフル稼働。他のホールや駅構内や駅前広場での演奏も加わる。コンサートは5月3日から5日までの3日間に集中的に開催される。

 と、いかにも知った風に語ってはいるが、初めて行った2012年の次に行ったのは2017年になる。なぜだろう。2014年に父が入院したりしていたからだろうか。

 実は2016年も行こうと思って、その前年に開通した北陸新幹線に乗って金沢駅に降り立ってはいるのだが、何と強風を伴う悪天候で、新幹線ほど災害に強くない在来線であるJR北陸本線の特急電車がすべて運休。他の電車(つまり各駅停車)の運行も「保証されない」ということで、金沢からさらに加賀温泉まで行かなければならない私は、金沢でゆっくりする時間を取れなくなってしまったのだ。

 というわけでようやく参加できた2017年のこの音楽祭。それが無茶苦茶楽しかったので翌年・翌々年も続けて行ったのだが、昨年2020年は音楽祭そのものが中止。今年も、開催されたものの首都圏が緊急事態宣言中で、とても「東京から来ました」と言えない状況だったので、諦めた。

 

 音楽祭は毎年テーマが決められる。2012年のそれはロシア音楽だった。

 ショスタコーヴィチはややマニアックだが、チャイコフスキーならどなたでもご存知だろう。

 その年の3月頃。ネットで発表されたプログラムを見ていた私は、この音楽祭の5月3日午前のオープニングコンサートで、地元石川県内の県立高校の吹奏楽部がショスタコーヴィチの「祝典序曲」を演奏することを知った。

 その瞬間、「聞きたい」と思った。

 しかも、そのプログラムの最後には「アルメニアンダンスPart1」

 これは、吹奏楽ファンいらっしゃい、言うてるようなもんや。

 私の脳裏に祝典序曲の思い出がよみがえり、中学生の頃にタイムトリップした。

 

 中学生の時、同じ市内の隣の中学校の吹奏楽部が演奏したこの曲に衝撃を受けた。

 超速いテンポ。細かなパッセージの木管楽器。吹きまくる金管楽器の華麗な音響。

 「ウチらはあんなに速う指回らんわ」

 「ようあんなでかい音で(和音を)合わせられるな」

 「同じ市の隣の中学校やけど、俺たちはあいつらより遙かに下手や」

 初めてショスタコーヴィチという作曲家を知った。

 やがて、その作曲家の死亡記事が新聞に載った。

 いや、この2つの事象の時間の前後は、実は記憶が不確かだ。だが、同じ年のことだと考えてほぼ間違いないであろう。

 以来、祝典序曲は私の羨望の曲となった。そして、この曲が吹奏楽界では有名な曲であることも知った。

 だが、録音が手に入らない。クラシック音楽のレコード、そしてCDを買い集めるようになる私であったが、なかなかこの曲は録音・発売されない。やっとCDを手に入れたのは、それから20年くらい経っていた頃ではなかろうか。

 YouTubeで検索すればいくらでも音源が画像付きで出てくる現在とは違う。

 

 県立音楽堂にトランペットの音が響き渡る。祝典序曲冒頭のファンファーレ。これ、この音だよ。録音でない、人が楽器に息を吹き込む感覚と、空気も共有できる現場の迫力。演奏しているのが高校生だろうがアマチュアだろうが、関係ない。

 演奏している高校生達にかつての自分の姿がダブったのだろうか。涙が流れてきた。

 コンサート自体はいかにも高校の吹奏楽部! クラシックの演奏会ではあり得ない司会者がついたし、パフォーマンスあり、合唱あり、衣装替えあり。高校の吹奏楽部の演奏会に行ったことはないが、アマチュア吹奏楽団のコンサートなら何度か行ったことがあるので、こうした演出があることは予想通りだった。

 最後も吹奏楽関係者なら知らぬ者はない超名曲「アルメニアンダンス」。自分たちで演奏して以来だったね、ナマで聴くのは。だからこれも約30年振り。ホンマ、タイムトリップだらけ。

 2012年5月3日お昼頃。高校の吹奏楽部の演奏を聴き終えた私は、金沢の町を歩く。実はこのとき、金沢の中心部訪問はいったい何年ぶりだか思い出せないくらい久し振りだった。私は昔を思いださんとするが如く町を歩いた(車も使ったけど)。

金沢駅前に戻ったら、件の高校生達が駅前で、太鼓門の下で演奏していた。それを聞いた。

 まだ北陸新幹線は開通していなかったが、太鼓門は完成していた。

 2021年7月3日。サントリーホールに向かう私は、頭の中で祝典序曲を歌いながら歩いていた。2012年のこと、中学生時代の頃のことを脳裏に浮かべながら。

 かかるタイムトリップを経験させてくれるショスタコーヴィチが天才大作曲家でなくて何であろうか。

(続く)