今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」第2回を見て、思わず感動してしまった。これは予想以上におもしろいかも知れない。来週からも見ることになるだろう。
 なぜ感動したのか? おそらくそれは、村総出で農作業をするシーンがあったからだろう。
 私の世代は、稲作が機械化される以前の米栽培を実際に見た記憶のある最後の世代である。つまり、田植えを、手作業でやっていたのを見ているのだ!
 今では小学校の体験授業でしか行われない手作業の田植え。私が5歳くらいまで、それは(石川県加賀市では)行われており、そのために近隣から人が集まってきて、我が家に泊まったのである。手作業だからね。人手が要るのだよ。
 5月のある日、突然、大勢の人がウチに泊りに来て、私はびっくりして泣き出さんばかりだった。近所の保育園に預けられたが、そこからも逃げ帰った。居場所はなかった。
 だが翌日、田植えが終わるとその大勢の人たちは消えていた。また平穏な日々が戻った。水が張られて真っ黒だった田んぼには、緑の苗が規則正しく植えられていた。その横を通って私はいつも通り学校(幼稚園か?)に歩いて行った。



 大河ドラマの話。
 渋沢栄一を「日本資本主義の父」と呼ぶなら、それは間違っている。そう呼んでしまうと、彼以前の日本には資本主義が存在しなかったことになる。
 だが、大河ドラマでも明らかなように、渋沢家は江戸時代から藍染めや絹糸といった商品を生産しており、明らかに商品経済あるいは工業生産の段階に進んでいる。そのためには資本が必要であり、かつ、すでに資本も蓄積されていたことであろう。
 それを幼少時代から見て育った栄一が欧州の資本主義を体験したのだから、すぐに何をやれば良いのか理解した。銀行や株式会社を作れば日本が経済的に大きく発展する。欧米にすぐ追いつける。そう思ったに違いない。さして思想的な葛藤もなく。
 江戸時代の大坂で、世界初の先物市場が米によって誕生したことは世界の定説である。江戸時代が明治維新以降の資本主義の発展を準備していたことは、もはや日本史上の定説でもある。
 「青天を衝け」も、明治維新は薩長が作っただけではなく、旧幕臣つまり関東の人材も加わって作ったのだよ、という「関東視点の明治維新」を描きたいのであろう。それは確かで、明治政府も旧幕府の統治システムを流用しなければ関東の統治がまったくできなかったことは明白である。



 もう20年以上前になるが、東京の屋形船運行会社の方々と仕事をしたことがある。屋形船を運航するには当然、公共のものである川に船を係留する権利、同じく公共のものである海を運航する権利を認めてもらう必要があるのだが、それを屋形船に認めたのは、江戸幕府であった。その認める権限を引き継いだのは東京市、今の東京都なのだ。
 屋形船の方々はそれを誇りにしている。「俺たちは将軍様から鑑札を頂いて川と海を渡ってるんでえ」。東京都江戸川区の温泉施設で、そうした自慢話を長々と聞かされた。
 およそ1年前、屋形船がなんだかコロナ感染を拡げた元凶のように報道されて、キャンセルが相次ぎ、経営に苦しんでいるという報道をTVで見た。インタビューに答えていたのは、前述の仕事の時に私もインタビューした柳橋の屋形船運営会社の社長さんだった。
 「あ、K屋さん、白髪増えたけど面影残ってはるなあ」。
 私も白髪増えましたよ。