2月から日経新聞朝刊の連載小説が変わりました。陸奥宗光の半生を綴った「陥穽」という小説に変わって、諸田玲子さんの「登山大名」っていう名の小説へ。
これは江戸時代初期に豊後国(現在の大分県)岡藩の第3代藩主を務めた中川久清という大名の生涯を描いたもので、この大名は幕府への反骨を胸に、大胆な藩政改革に取り組んだ地方大名だそうです。
そして、連載開始にあたって、作者の言葉に「鎌倉の大船の近くに早世した娘のため東渓院を建立しました。」とあり、これは後々小説をたのしむためにもちょっと行ってみようかと思い立ち、調べてみると、東渓院は明治時代の廃仏毀釈のために廃寺になったとの事でした。
ただ、東渓院の門が北鎌倉駅近くの光照寺というお寺に移設され、見ることができるらしい。そしてその門には中川クルス紋という、なんでも隠れキリシタンと関係があるかも知れないという紋がついてるとあります。
なんか色々と面白そうと、今日、光照寺に行ってきました。
北鎌倉から歩いて10分くらい。
ただし、今日は3連休の中日の上に昨日から始まった春節で鎌倉や北鎌倉はとんでもなく混雑しそう。
そこでちょっと早め。9時には北鎌倉に着く電車。
北鎌倉から大船方向へ少し歩いて、小坂郵便局。
ここは郵便局にしてはとてつもなく大きい建物。 ほかに一般の事務所とかも入っているようですが、それにしてもでかい。
近くの案内図をみて、一応場所を確認。
左に曲がって、少しなんですが、途中に
小袋谷川の橋。
近くに小袋谷の交差点といういつも混んでいる交差点がありますが、昔は巨福呂谷と言っていたみたい。建長寺の寺号を巨福山と言いますが、それと関係あるそうです。
で、この川は柏尾川の支流。
こんな川です。
橋を渡ってほどなく、右側に
時宗西台山光照寺の碑。
一遍上人が布教のために鎌倉へ入ろうとした際に、北条時宗の警護の武士に阻まれ、野宿をした地に建立されたというお寺です。
そう言えば、ときむねって時宗って書くのにね。
本堂周辺にはたくさんのシャクナゲが植えられてシャクナゲ寺という別名があり、それ以外にもたくさんの花が植えられています。
で、こちらがクルス紋がつけられているという門です。
その紋がこちら。
キリスト教の十字を意味しているそうです。
そして中川久清の話は本当らしいのと、お寺の案内資料に「江戸時代の 切支丹が書き残した文書の中に鎌倉郡光照寺の名が残っていた」とあるので、このお寺がキリシタンと関係深いのは確かみたいです。
境内は拝観料を納め、散策できます。
山門くぐってすぐ左に咳の神様といわれるおしゃぶきさまが祀られています。
花を見ながら境内を一周。
時期が時期だけに咲いているのは梅くらいですが、きれいです。
で、廃仏毀釈で廃寺になったといわれる東渓院ですが、どこにあったのか。
こちら、北鎌倉駅前にある観光案内図。これには光照寺の奥が東渓院跡となっています。
駅に戻ってから見つけたので、残念ながらそこまでいかず戻ってきてしまったので、跡の碑とかあるのかないのかわかりません。
ちょっと調べると大船の観音様の近くという事が書いてあるような資料もあったりするようです。
帰りの北鎌倉駅で特急列車が到着しました。特急鎌倉っていう列車。
埼玉の吉川美南という駅から鎌倉までの特別列車みたい。この電車からもそこそこの人がおりてきました。
まだ9:30ころ。 この電車が吉川美南駅を出たのは7:30頃ですね。 昼の今頃鎌倉、北鎌倉はパニック状態かな。
さて、小説は始まったばかり。また寺跡を探しにいくかもしれません。