放送大学の単位認定試験が終わりました。
1年ぶりの受験です。
1年前の受験で「押出しで、卒業」させられて(?)しまいまして。
そのまま継続して再入学したのですけれど。
なんやかんや、勉強に集中できる気分にならなかったので、通信指導も提出しませんでした。
今思えば、母が倒れて入院して、ワタシ自身も精神的に不安定だったのかもしれません。
「2拠点生活」の先行きが怪しくなり。
母の在宅介護のために、「藤沢に釘付け」の生活になるのかと、目の前が真っ暗(というのも大げさだが…)。
カラオケに行ったり、漢検対策に取り組んだり、というのは「気晴らし」としては良かった。
ただ、「時間」と「脳」を割きすぎたようで、「大学の勉強」に取り組む気持ちになれなかったのよね〜。
漢検1級受験から撤退したことの影響が、意外と大きいと気づいた。
結局のところ、「身の丈に合わない漢検」というのは丸暗記に頼らざるを得ず。
もともと丸暗記は好きじゃない(ただし、不得意ではないらしい)から、あまり愉快じゃない。
「楽しくやろう」と思っていたのにさ…。
自分で言うのもアレだが、準1級は身の丈に合っていたのだと思う。
それまでに読んでいた本とか、中国語学習の経験とか。
当初はなめていたので、「惜しいっ!」で2回落ちたけど
真剣に取り組んだら、ちゃんと合格できた。
1級は…違ったのよね。
いくらやっても、「身についた実感」がなかった。
「脳」をけっこう食われていたらしくて。
「漢検、やーめた!」と諦めたら、しばらく影を潜めていた知的関心が戻ってきた。
それがさあ、皮肉なんだけど。
鍼灸マッサージ師国家試験のために「意味はさておき、丸暗記」した内容が、強く絡んでいて。
意識していなかったんだけど、今回、放送大学で受験した2科目も「今の知的関心」とリンクしていて。
放送授業を視聴して、考えて、印刷教材を読んで、考えて、「あれ?」と思ったことをインターネットや参考文献で調べて、また考える…。
そんなことを繰り返して単位認定試験を受けたら、あらま不思議。
1年前とは違って、さほど迷うことなく、解答することができたんですわ。
1年前には、こんなことを書いていた。
年とともに、選択肢を見分ける能力が落ちているのを感じる
「先入観」で、選択肢の文章を勝手に読み間違うこともあるし。
若い頃は簡単に処理できた「まぎらわしい文章」に、つまづくことが多くなった。
1年前の自分に、こう言ってやりたい。
あのですね、それは単に、勉強不足よ
年のせいにするな。
しかしですね、あれこれ手を出すと中途半端になるのは、年のせいもある。
昔は、あれもこれも、しっかり出来ていた…?
ような気がする、だけかね。
ワタシの時代は「過酷な受験戦争」と言われ、「丸暗記至上主義」みたいなところがあった。
今振り返ると…
ワタシは暗記モノがキライで、「好きだから、無理なく覚えちゃう」のと、「丸暗記しなくても、調べたり、考えたりすれば出来る」の二本立てで、人生を乗り切ってきた気がする。
本気で丸暗記に取り組んだのは、40歳過ぎて鍼灸マッサージ師養成校に通った時期だけ。
意味がわからなくてもひたすら覚える、というのが、意外と得意だと気がついた。
なぜ気づいたかというと。
年を食ってから社会人入学した同期の中には「なぜそうなるの?」という「なぜ?」がわからないと先へ進めない、というタイプの人が、けっこういたのだ。
「なぜ?」なんか、あとからついてくるんだから、とりあえずさっさと覚えればいいのに…と思った。
そこで思い出したが。
かつて通った外国語の教室にも、似たタイプの人がちょいちょいいた。
たいていは、男性だった。
そういう方たちは、序盤はなかなか進まないのだが、最終的には大成する傾向があった、ように思う。
ワタシは、「とりあえず、丸暗記」で乗り切った「知識」を、10数年経った今になって、反芻しようとしているのかもしれないな。
「教養」って、そういうものかもしれない。
それにしても「自宅受験」は便利です。
今回、「受験」には中途半端な時期に引越して、所属学習センターはまだ「神奈川学習センター」なのですが。
「自宅受験」なので、煩わしい手間もなく、これまでと変わらずに受験できました。
すばらしい
通信制、バンザイ!
コロナ禍が残した数少ない「恩恵」かもしれないわね。