藤沢市でうける最後の漢検の日。
6月16日。関係ないけど「父の日」

前回と同じ漢検会場であり、これまでは長散歩して行っていたのだが。

もう藤沢駅周辺にも行かなくなるし、日常的に「愛しい小田急」に乗ることもなくなるからと。

最寄り駅から藤沢へ。
地元の方でよくブログを見てくださる方はお気づきだろうが、最後なのでばらすと、最寄りは善行駅。
坂のまち、藤沢市のほぼ真ん中。


先日の予行演習どおりに?
朝7時に「かつや」で朝ごはん。


一番好きなしょうが焼きの朝定食。
これだけだと、例によって株主優待と紙の値引きクーポンで自腹ゼロなのだが、最後だしねとエビフライをつけ、ちょこっとお金を出した。

そのあとドトール。
これも予行演習どおり。
株主優待で自腹ゼロ。


窓の外に、懐かしい藤沢の街が見える。
このあたりは、高校時代から就職して2年目くらいまで、地元の友達とよく遊んだ場所。

テナントは様変わりしたが、構造はほとんと変わらない。
が、このあたりにもとうとう「再変革」のときが迫っているらしい。

がらりと変わった藤沢駅周辺に再会する日を楽しみに。


東海道本線で1駅。辻堂へ。
藤沢で乗り込んだらちょうど、向かいの小田急線ホームに「青いロマンスカー」がいたので、撮ってみた。

「青いロマンスカー」って、東京メトロ直通仕様じゃなかったっけ?
湘南地方にも来てたのね。
この色は確かに、「この辺」にもよく似合う。


辻堂駅の海側。
陸側(山側?)はすっかり開発されて様変わりしたけど、こちら側の「ごちゃごちゃ感」はあまり変わらない。

ワタシや地元友だちが共通して抱く辻堂のイメージは「お葬式の時にくる街」
老舗の葬儀屋があるのだ。
ワタシの父も、この街で送った。

実家があった団地では、ワタシが小学生だった昭和40年代には、集会所でお通夜と葬式が多かった。

当時はどういう仕組みだったのかわからなかったが、小学生のときにお父さんが急逝して集会所でお葬式をした友人によれば、お葬式に必要な品々は件の老舗の葬儀屋がレンタルしてくれたのだそうで。

ほら、「昔のお葬式」の話を聞くと、そういうものは家で保管してたとか、お金持ちの家のを借りるとか、いうじゃない。
だから、団地の集会所に「備品」としてあったのかなあ?なんて思ったんだが。

「団地」は当時、核家族の最先端な住まい。
そんな旧態依然としたシステムは、なかったのでした。

「集会所のお葬式」は急速に廃れた記憶がある。
高校生の頃には既に、めったに見なくなっていた。

漢検は、予行演習のとおり?
眠気にも空腹にも邪魔されなかったが、出来はいまひとつ。


辻堂からは便利なので、大庭台墓園で父の墓参りをしようと考えていたが、小腹が減ったので、日高屋へ。
餃子3個と「ごはんセット(小盛り)」
合わせで320円なり。


7回受験した漢検1級は、もう受けるのを止めることにした。

まったく受かる見込みがないし滝汗
受験料は高いし。

今回、漢字の「書き問題」で、「そんなの書けて当然じゃん」なやつが、どうしても書けなかった。

※漢検1級といっても難問ばかりではなく、中学生でも知ってる漢字や四字熟語がひょっこり出てきて、これが意外とひっかかる。

こんな簡単な漢字も書けないのに、何が漢検1級だよ、と「漢検の虜」の魔法がとけた、ような一瞬。


コロナと「親の介護問題」で遠出ができず。
漢検の試験勉強は、母や病院や施設からの電話待機みたいな日々の、気をまぎらわすのを助けてくれた。

でも、すべては変わったのだ。
ワタシからみれば、終わったのだ。

ほかにやりたいこと・出来ることが増えたし。
からだが自由に動ける時期は、そんなに長くないかもしれない。

また誰かの介護や看護が始まったら、漢検に戻るかもしれないし。

飽きっぽいからね笑い泣き
もうやらない、かもしれない。

藤沢に来てから始めた漢検だから。
藤沢を去るときに止めるのも、いいんじゃないかな。

生活を、気分を、変えるのだ。

漢検の勉強をしていると、どうしても、善行で親のことにかまけた「本当は不本意でたまらなかった日々」を思い出してしまう。

早く忘れて、「自分の人生」を取り戻したいのですよ。

とはいえ、「漢字」を忘れたいわけではない。

気軽に、のんびりと、好きな分野を中心に、言葉と漢字に関心を寄せていきたいのです。


食べてから墓参り。

帰宅して、テレビで競馬観戦。
永島まなみ騎手の重賞初勝利に感動して、涙ぐんでしまったよ拍手
単勝 買ってたしね爆笑
例によって、100円だけど。