「とうとう」というか、「やっと」というか。
実家の退去日。
 
♪ふたりでドアをしめて〜 ふたりで名前消して〜
 
…という名曲がありましたが。

 
ひとりでドアをしめて…。
 
 
ひとりで名前消して…。
 
 
この団地は5階建て。
階段を共有する2軒✕5階分=10軒がひとつの単位で、自治会費の集金単位だったりする。
 
ワタシが子供のころは、10軒のほとんどが顔見知りで、自治会の加入率も高かった。
入っていないほうが少数派だったが。
 
今は、知らない人のほうが多い、というのが普通になりつつある。
 
「お世話になりました」の挨拶も、母から指定されたのは2軒だけ。
「ほかは、いいわ」と。
 
で、鍵返却前の最後の点検を兼ねて、挨拶に行った。
ワタシの感覚では驚くことに、2軒とも在宅で、顔を見せてくれた。
真っ昼間だから「在宅」がまずびっくりで、顔を見せてくれたことにまたびっくり。
○○○号室の▲▲の長女ですけど、って言えば、まあ出てくるか。
 
我が実家は、同じ団地内の2DKから3DKに引っ越した。
ワタシが中学生のときである。
 
ワタシ自身は覚えていないのだが、母によれば、この2軒はその当時すでに、ここに住んでいたらしい。
 
「戻ってくるのを待っていたのに」「寂しくなるわ」「お母さんによろしくね」と、母と同じかちょっと上くらいのお婆さんに言われて、ちょっとしんみりしちゃったわ。
 
 
結局、実家じまいプロジェクトには半年以上かけてしまった。

 

 

「私が死んだら、業者に頼んで全部処分してね」と母から承っていたワタシ。

 

母の目論見は外れて(ワタシにとっては想定の範囲内だが)生きているうちに全部処分するハメになった。

 

言われた通り、何も手を付けずに業者におまかせしてもよかったのだが。

 

時間をかけて、丁寧に実家じまいをしたかったのには、理由がある。

 

 

それは、連れ合いの「実家じまい」の反省から。

連れ合いの実家は名古屋の市営住宅。

ワタシのほうよりはずっと新しいが、賃貸の団地である。

 

連れ合いの母(姑)も、夫(舅)が亡くなったあと、10年以上一人暮らしをしていた。

 

ときどき入院騒ぎなどがあって、そのときは地元にいる次男家族が主管していたのだが。

いろいろあって関係が悪くなり、途中から、関東地方にいる長男が遠隔で管轄するようになった。

 

長男家族と次男家族は、犬猿の仲である。

 

これもワタシの母とよく似たパターンだが、姑は熱中症?で倒れていたところを発見されて、「一人暮らしは、もう無理」となり。

長男家族の住む地域の施設に移った。

 

そのときに、長男が業者を頼んで、がーっと実家を片付けてくれたらしい。

そのとき、三男である連れ合いには声をかけず、いくらか残してあった彼の「私物」も「勝手に」捨ててしまったと。

それがけっこうご不満だったらしくて滝汗

未だにときどき、思い出したように口にする。

 

連れ合いは、基本的に愚痴や「他人の噂や悪口」が少ない人間なので、これは相当、イヤな経験だったのだろう。

 

長子長女であるワタシからすれば、「捨てられたくなければ、さっさと手元に持ち帰っておけや!」というところだし。

若干めんどうくさくて、次男(故人)・三男から煙たがられている長男に対して、ワタシは同情してもいるのだが。

 

そんな先行事例があったから。

ワタシ自身は、実家じまいにあたって、ちょこちょこと妹に打診してきたんだが…。

少しは協力してくれるかと、「期待」しながら…。

 

杞憂でしたね滝汗

まったく!まったく!

無用の配慮でした。

邪魔はなかったけど、協力もなかった。

仕事のオーバーヘッドを増やしただけでした。

 

「ほかのひとが、自分と同じだと、思わないほうがいいよ」

 

20年近く前、年下の先輩から助言されたことを、久しぶりに思い出したよ。

 

「何もしないのに、口だけ出す」タイプの親戚やきょうだいもいるらしいから。

「邪魔はなかった」だけでも、「御の字」ではある。

 

 

ともあれ、「実家」はなくなった。

「実家へ帰ります泣き笑い」は、もう言えない。

 

言ったことはないし、言いたいと思ったこともないがね。

 

実家へ帰らなくても、ワタシはどこへでも行っちゃうから爆  笑