醍醐寺は、空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が、平安時代初期の如意輪観世音菩薩の開眼供養で開創した真言密教の寺。

醍醐天皇初め、白河上皇、源氏、足利氏、豊臣秀吉等、多くの権力者が帰依した。




大阪中之島美術館の「開創1150年記念 醍醐寺国宝展」を鑑賞しに訪れた。




普段、私たちが訪れてるのは、後世山裾に建立された「下醍醐」と呼ばれる所。

どんどん奥に進んだ門を出た所が、上醍醐に通じる山道の入口。

鬱蒼とした山道で人気もなかったため、引き返してしまった。

上醍醐に、薬師堂、如意輪堂、五大堂などが
建立されたのが、醍醐寺の始まりだ。




今回、上醍醐の五大堂に祀られている、五大明王像の一部を拝顔することが叶った。

快慶作の不動明王像。繊細かつ品のある不動明王は、さすが快慶!

密教では、大日如来は最高至上の絶対的存在の中心尊格。

すべての仏は、大日如来が姿を変えて現れたものと、捉えている。




五大堂の五大明王像のひとつ「大威徳明王」。

すべての悪を打ち砕く功徳を持つことから「戦勝祈願の仏」として崇められてきた。

美術的には、「明王」や四天王や十二神将などの「天部」が好き。




珍らしい仏さま。「閻魔天騎牛像」。

安産を願って、待賢門院が信仰した御仏。




俵屋宗達の「舞楽図屏風」。




今年は、桜の開花が遅かったが、醍醐寺だけは満開で、花見に来た友達も喜び、ホットした。




毎年、4月の第二日曜に行われる「豊太閤花見行列」の際、舞楽も舞われるらしい。

来年は、ぜひ観たいなあ。




廃仏毀釈の際、醍醐寺は宝物は一切散失しなかったという。

相国寺は、寺の存続と引き換えに、「若冲の動植綵絵」を召し上げられた。

三の丸尚蔵館で皇室の至宝として、「動植綵絵」が公開されるのは、違和感がある。

「動植綵絵」は、若冲が両親と弟、若冲自身の永代供養を願って、相国寺に寄進したものだ。

相国寺の大典禅師に捧げるために描いたものでもあるのではないか?(ドラマによると)

相国寺に、里帰りした「動植綵絵」にお会いしたいものだ。